2024-06-01から1ヶ月間の記事一覧

澄みきった心と感覚・抒情に濡れた人間の暖かさ……俳句の心

前霞む雨の終日 芽もつ葦 児島庸晃(2008年5月14日記述) 五月晴れと言う言葉は何処へいったのだろう。連日の朝の寒さや昼の強風にさらされながらの雨の降りしきることの昨今、どう考えても心の落ち着かぬ毎日である。索漠とした毎日の出来事の中に埋…

人生においても脱皮そしてまた脱皮の気持ちは大事だった

極上の緑へ脱皮 脱皮の森 児島庸晃 「万緑」という言葉を知ったのはいつごろだったろうか。60年も前になるだろうか。季語となるに至った過程もこのときに知る。そして中村草田男主宰の俳句誌であることも知った。翻って私自身を考えるに、その頃社会につい…

その俳句は…何故そこに存在するのか

存在意義を問うてゆくとき俳句における「何故」が存在 児 島 庸 晃 最近になって世の中を賑やかにする言葉がある。その言葉に私は緊張した。パーパス(存在意義)と呼ばれる言葉である。もともとは企業の人々によって生み出された言葉なのだが、大変重要なこ…

ほとんど感動を知らない日々を過ごしている私になっていた

街角やのっぽもちびも夏の草 児島庸晃 感動するって…どんなことなのか? 日々の生活や日常の出来事にどれだけの感動を覚えることがあるのだろうか。考えてみれば…ほとんど感動を知らない日々を過ごしている私になっていた。 JR神戸元町駅で下車し山側へなだ…

ことばの音数をイメージに変換してゆくと意味や時間や場所などをリズムに変換することが出来る

俳句はアニメーションに似ていてコマ割りが必要である 児 島 庸 晃 コマ割りをひとつひとつ解説してゆくには時間がかかるので、ここではこのイメージ部分となる二段割れや三段割れのみを書くことにする。俳句の定型としての五・七・五を、その音節通りに区切…

私の心を修正して下さった三人の俳人

俳句には直情と……それを抑えようと意識する心が存在する 児 島 庸 晃 俳句には、直情と、それを抑えようと意識する、批判的な心が何時も同居して作者の胸中を苦しめる。そのときの方向性を示すのが、動詞の存在である。ときに作者の思いとは全く違う情感を示…

観念思考が先行して意味だけが重要視されてはいませんか

俳句言葉とは……意味でもはく説明でもない 児 島 庸 晃 あなたが俳句の形式を選択したのであれば、全ての作品を俳句で書きましょう。最近目立って顕著になってきたのが、俳句を作っているあなたが、俳句作品ではなくなっていること。観念思考が先行して、意味…

文芸作品には味がなければ……特に短詩系には

俳句には味がいる……写生と写実について 児 島 庸 晃 俳句の個性とは…そのように思って俳句の道を50年余も歩いてきた。だが、私にとっての俳句の道の始めは、高校生のときだから遠い昔である。…にも関わらず、いったい何を学んできたのだろうか。未だに何も…

生活人としての意識や認識を社会へぶっつけて生きてきた……俳句の心

今日の感動は明日の感度と同じものではない 児 島 庸 晃 俳句にとって。俳句を書いてゆく行為はアドリブ表現以外にない。感情表現をするとき、感動は、その場、そのとき、思ったままの表現をしなければ二度とそのものずばりの表現はない。生存してゆくための…

人によっては俳句を選句するとは言わない……好きな句またはそれほど好きでもない句とも

名詞主体句・動詞主体句…の魅力……「風情」と『風姿』の心 児 島 庸 晃 俳句の選句をするのに、私たちは何を基準にしているのだろうかと何時も思うことしばしばの最近である。人によっては選句するとは言わないことも。入選句、特選句とも言わない。ただ単に…

真実純粋にそのことを思わなければ出来るものではない……俳句の心

雲水の行きてもどらぬ橋や霧 児島庸晃 はっと驚き一瞬立ちすくんだのは私だけではなかった。何気なく前を見た瞬間だったのだが、そこには袈裟懸けの男が歩いていた。秋の夕暮れのことである。つるべ落としの夕べ、橋に灯が入りかけていたその僅かな輝きに照…

思えば思うほどに時代はいろんなものを残してゆく……俳句の心 

昭和は言葉の引き出しをいっぱい保持出来た時代であった 児 島 庸 晃 昭和は遠い昔の時代になってしまったのであろうか。時々懐かしむほどに時代はいろんな思いを残し過ぎ去ろうとするのだろう。思えば思うほどに時代はいろんなものを残してゆく。 昭和は言…

人間としてのあるべき生活意識態度が汚れてはいないこと……俳句の心

自分自身を浄化させつつ自分自身の心を磨いて生きてきた 児 島 庸 晃 俳句言葉は作者自身が自分自身へ向かって確認して心を浄化させている言葉なのである。ここには人間としてのあるべき生活意識態度が汚れてはいないこと、そのこと故に「大丈夫」であると自…

一度きりの人生を踏まえ一行きりの俳句に賭ける

百歳の母のほほ笑む冬鏡 児島庸晃- 能勢電鉄山下駅で下車、改札を出ると病院行きのマイクロバスはもう既に待っていた。乗客は僅かに3人。朝の10時祭日の病院に行くものなどはいない。私は俯きがちに頭を垂れ30分ばかりの時を経る。兵庫県川辺郡猪名川町…

父の日の思い出

今年の6月16日は父の日である。私にとっては思い出の多い日である。そして悲しみと、それに伴って家族の絆の深い日でもあった。朝が来て、いろんな思い出が蘇っては消える。家族の温かさ、私には絆の深さが想いだされてくる。私のブログを思いだしていた…

 社会性俳句と前衛俳句の時代 

俳句を書くと言うことはネガティブからポジティブへ変化する心の葛藤 児 島 庸 晃 私には…ふと思うことがある。俳句を書いていて何のメリットがあるのだろうかと、時々思うことがある。もっと有意義な社会参加はないものかとも思ってしまう。俳句が書けなく…

それぞれの言葉と言葉のパーツを合わせる接着剤……それは心

目視とは 徹底して物を見尽くさねばならない 児 島 庸 晃 俳句は連想言葉の集合体である。またパーツ言語の集合体でもある。それぞれのパーツがいくつか組み合わさって完成されているもの。それぞれのパーツを組み合わせるには、それぞれの言葉と言葉のパー…

日々生活する自分自身の自己確認は大切……俳句の心

俳句における自己確認表現とは…… 児 島 庸 晃 私たちは毎日の暮らしの中で数多くの体験や知識を得て日々を無事に暮らしている。その幸福感に満足し生きているのだが、日々何事もないように暮らしている。これらは毎日の生活の自己記録でもある。しかしよく考…

純粋感動を出来るだけ長く出来るだけ強くもちつづけていたい

昭和30年代若者俳人を育てた俳人……鈴木石夫・伊丹三樹彦 児 島 庸 晃 毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌や結社誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚のうすい句のなんと多いこ…

人間にとって緊張感・臨場感の持続時間は一分間以内である

その俳句が読者に受け入れられるには緊張感・臨場感がいる 児 島 庸 晃 俳句黙読に関し、その緊張感・臨場感の持続時間は一分間以内である。この間に俳句そのものが理解・もしくは心に受け止めるだけのもの…緊張感・臨場感が得られなければ、その句は選句か…

メタバース(三次元の仮想空間)と言う生き方は現代の社会思想

俳人伊丹三樹彦の思考は当時の若者の心を変革させた 児 島 庸 晃 メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き…

俳句は……不可視の世界に現れる心の変化を取り入れる必要があった

心 は い つ も 眼 心 児 島 庸 晃 俳句は生きている実感、そしてその真実を如何にして記録してゆけるものなのか。俳句は可視の世界の現象だけではなく、不可視の世界に現れる心の変化を取り入れる必要があったのかも。心の中だけで出会う現象を記録してゆく…