2024-04-01から1ヶ月間の記事一覧

潜在意識を顕在意識に変革させたのが……俳句の心

顕在意識→連想→潜在意識の心の流れ 児 島 庸 晃 実感の重みと言えば、そこには必ずと言っていいほど潜在意識を内包している作者の意志が色濃くある。その潜在意識を顕在意識に変革させたのが次の句である。 あやとりのエッフエル塔も冬に入る 有馬朗人 俳句…

感情表現は心が無で白くなけれは本心は表には出てきにくいもの

俳句言葉は作者自身の存在感を正面で受け止めた瞬間の純粋感である 児 島 庸 晃 普段の日常生活の慣らされた習慣の中で物事をよく見届けるのは、よほど心の中を純白していなけば見えてはこない。物事は心には飛び込んではこないもの。俳句の感情表現は心が無…

俳句は……感性詩語である

●俳句は言葉選び…発想 ●俳句は言葉作り…構成 ●俳句は言葉並べ…アレンジ 上記の三つの思考が私の俳句に関するメモリアルである。 児 島 庸 晃 俳句は言葉選び… 俳句は言葉遊びであることを、主張したのは坪内稔典であったが、まだ彼が「青玄」にいた頃から私…

生きるのに疲れた時「  」に何語いれても寂しい時……俳句の心

俳句を作ることのメリットとは 児 島 庸 晃 時々ではあるが何故俳句を作っているのか、と自問自答している私に吃驚して夢より覚めることがある。夢より解かれて現実の世界に戻っても、しばらくは私を責めている全く別のもう一人の私が居て、思考の続く時間に…

俳句を作っている良さはなになのだろう

人やものの機微はアナログでなければならない 児 島 庸 晃 俳句を作っている良さはなになのだろうと考えてみるときがある。そして多くある文芸のなかで何故句つくりをするのか、考えているときは私にとっては一番幸せな時間なのかもしれない。物を見て感じて…

私たちが普段見ている面や線には感情がある……俳句の心

一句の背景にはどんな俳句にも面や線の姿がある 児 島 庸 晃 世の中の目視できるもの全てを集約すれば面と線になるというのが、抽象表現の基本的考えである。面も線も、それぞれに表情を有しているというのが、抽象絵画の生みの親であるカンディンスキーの考…

批判的リアリズムと言われる文芸……俳句の心

リアリズムの正しい在り方を示す俳人 児 島 庸 晃 批判的リアリズム…この言葉はあまりにも聞きなれていないかもしれない。純粋文芸の一端である俳句にとってはなんの関わりもないと思われるかもしれない。短詩系のしかも十七音律の言語に果たしてこのような…

若者の思考が容易には受け入れられる雰囲気ではなかった……俳句界

既成俳壇と闘った若者たちの記録 児 島 庸 晃 昭和30年〜40年頃の俳壇は若者の思考が容易には受け入れられる雰囲気ではなかった。そのようななかで鈴木石夫は、石夫自身の心を、個々の俳人に押し付けるようなことはしなかった。多くの結社誌は、この若者…

第6回人生十人十色大賞入賞 

この大賞は毎日新聞と文芸社の共同コラボにより全国的に募集し たエッセーです。応募者2000人程の中から30人の入賞。その 中に私の名前が入っていました。この30人を集めての書籍になり、 一般の本屋さんの店頭に並べられ売り出されます。 母の涙は…

社会の中で私たちは自分を自己劇化して生きている 

比喩は心表現の苦しみの中から生まれた 児 島 庸 晃 比喩表現がどうして俳句にとって必要なのだろうかと考え始めて、私の脳中は、ずーっと混乱の毎日である。俳句そのものが視覚からの発想によるものであれば、比喩の発想をする必要はないのではないかと思い…

観念語言葉では日々の生活は満たされない

俳句はコピー感覚ではないのだと思う 児 島 庸 晃 最近、私が思うことの一つに俳句の散文化がある。五・七・五の定形を踏まえていれば、全て俳句なのだと思っている俳人が多くなっているのではないか。…こんなことを私が思うようになったのには理由がある。…

眼で物を見るのではなく……心で物を見よう

物を見て得られた感動には心が宿っている 児 島 庸 晃 私自身のことなのだが、私は俳句を作品と言えるレベルまで高めるのに意識そのものが高まらない時がある。何故だろうと思うことを、これまで何年も繰り返してきていた。…何時の頃からか私自身が試行錯誤…

素直に感動出来る心をいつも保持しているのか?

人心とは……俳句人生の全てに…… 児 島 庸 晃 最近になってのことだが人生の蓄積など何処へ行ってしまったのだろうと思うことがある。…殊に俳句においてはこの人生の蓄積が重要に思えるときがある。ただ何の変哲もない風景でも見事にその人独自の風景を描き出…

個人が本を読もうと思う時とはどんなときなのだろう

人間の心を感じる言葉…それが俳句 児 島 庸 晃 そもそもわれわれ個人が本を読もうと思う時とはどんなときなのだろう。日常生活の中で、日々を満足に充たしている人はそのことだけで充分に毎日を過ごせるのだろうと私は思うのだが、だが暮らしの中で、ふあー…

思考の方向が純粋……そのため自死した俳人赤尾兜子を思う

春や春坂の上には精神科 庸晃(2007年4月14日記述) 神戸電鉄大村駅…兵庫県三木市大村…ここは妻の生まれ故郷である。金物の町として全国でもそのことの程は知られている町でもある。まだその田舎らしさをすこし残しているここへ夫婦で墓参に帰った。…

短詩系……特に俳句が若者に流行してきたのには理由があった

青年男女は日々の苦悩を語り始めた表現……俳句は 児 島 庸 晃 (この文章は昭和63年「青玄」412号3月号に掲載されたものを採録しました) カワチポテト族ということばを聞いたのは昭和62年11月ごろであったか。ニューヨークの若者たちの現在のあり…

「虚」を「真実」へと誘引して現実感を表現するとは……

俳句が全く面白くない……生きていることの実感がないと言う人に 児 島 庸 晃 何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていても面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会…

素直な作者自身の情感は大切……何故

素直な俳句言葉で表現しよう 児 島 庸 晃 俳句を作るのに実感が、どれほど大切であるのかはそれぞれの俳人の共通の認識であることは承知の事実である。しかしこの実感がなされるのにテクニックは必要としないことはあまり知られてはいない。何故ならば作者自…

ここ数日試行錯誤に悩んでいたこととは……

ある俳人の言葉に感動した日の事 児 島 庸 晃 ここ数日私は、このなんとも漠然としていて、どうにも訳のわからぬ思考にとりつかれていた。考えても思慮深く思い巡らしても、一向に考えが前進しなかった。ところがである。ある日だった。思いもしてはいなかっ…

終身生命あることの大切を問い続けていた俳人

俳人桂信子における必死な心(2023年1月23日記述) 児 島 庸 晃 見渡す限りの水面に冬鳥たちは快く楽しくその冬の一瞬を遊んでいるのかにも思える午後の武庫川であった。だが、朝の気温がマイナス1.5度。早朝の武庫川の風景が見たく何時しか歩みはじ…

パーパス(存在意義)は何故を生む

一俳人の俳句の存在意義 児 島 庸 晃 それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか。どうして「何故」が『何故』を生むのか。伊丹三樹彦が白寿を前にして亡くなり、三樹彦が残してくれた文言に改めて深い重さを受け取っているのである。そこで今回は俳句に…

それは不可視という現象だった

不可視を可視にした俳句の創始者……俳人伊丹三樹彦 児 島 庸 晃 そこにあるのだけれど見ようとしなければ見えてはこないもの…それを不可視という。人の心は不可視の中にこそ潜むもの。日常の出来事だけが五・七・五の定形であってはならない。 …つぼみの中を…

武庫川河川敷を歩く

久しぶりに河川敷を歩いてきました。もう初夏。いろいろな花に囲まれての私の今日の朝の始まり。どれも明るい光彩の花弁に、目が飛び移り心が励まされました。ここは私の、かっては鬱を棄てる場所でもあったところ。社会の仕組みに取り残されて私の心がつい…

潜在意識とは……何

潜在意識を発見することの大切さ 児 島 庸 晃 心の準備と言えば、目視に際し潜在意識を発見することかもしれないと思うことが私にはある。目視とは作者の目に最初に飛び込んでくる事柄でもあるが、作者にとっては一番に興味をひくことでもある。何故興味を引…

俳句作者自身のラッピングをしなければならない

難解俳句と呼ばれているものを紐解く 児 島 庸 晃 俳句を何十年も作り続けていると、見るもの全てが有り溢れている句に思え、つまらない俳句に思えてくる。心で受け入れようとはしなくなる私。そんな毎日につまらなさを思う私。日々視る自然や物事にも興味が…

俳句は一人称表現だが……目視物は三人称ばかり

本物感は何時も一人称の発想視点 児 島 庸 晃 世の中に現存するものは一人称のものばかりではないのである。一人称の表現スタイルが俳句の本物感を深めるのには欠かせないのではあるのだが、目視の対象は三人称のものばかりである。我々の生活日常は複数の形…

社会から疎外された時の自分自身の復旧回復とは

癒しの心で俳句する大切さを考える 児 島 庸 晃 毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶に群がっ…

常に死を見つめ…生を見つめ…

俳人桂信子の生前の1句 児 島 庸 晃 常に死を見つめ、生を見つめ、老いを見つめ続ける桂信子の生前の一句。 水に浮く蛾が生きていて西日さす 桂 信子 句集「新緑」の中の句である。主宰誌「草苑」、昭和45年作である。ここには心情を素直に表出する信子が…

人間的思考はアナログ思考にこそ

俳人……桂信子の思考とは(2006年7月28日記述) 児 島 庸 晃 職場での使用している監視モニターは全てにおいてデジタル化されてゆこうとしている。一部は録画にビデオを残すが時代の流れと共にデジタル処理へと変わることになるだろう。鮮明な画面は良…

俳人春田千歳さんへのオマージュ 

句集「蟬氷」には心がいっぱい 児 島 庸 晃 俳句における情感とは何か…を思考しているとき、句集「蟬氷」を頂きありがとうございます。吃驚しました。この句集には千歳さんの心がいっぱい詰まっての叫びだったのですね。句集を出さねばの心の程が理解できま…