常に死を見つめ…生を見つめ…

             俳人桂信子の生前の1句

               児 島 庸 晃

 常に死を見つめ、生を見つめ、老いを見つめ続ける桂信子の生前の一句。
    水に浮く蛾が生きていて西日さす  桂 信子
句集「新緑」の中の句である。主宰誌「草苑」、昭和45年作である。ここには心情を素直に表出する信子がいる。見つめている対象を自分自身に引き付け、引き寄せ、身体に取り入れくぐらせる信子がいる。これほど全てを純粋に見つめる信子とは…当時私は何時も句会で見ていた信子像とはすこし違うものをこの句から感じていたのだ。細かい神経を句座においても使い頭を深々と下げて室内に入ってくる姿には謙虚な必然を感じていた。だがこの句は信子自身の身体を潜り抜けてしまった後には非情なまで突き離して見つめる信子に変身しているのではないかと思った記憶である。このことは「草苑」第11号(昭和46年1月号)の自解にも伺えるのだが、「過去・未来」という文章である。「その蛾を救うことは、私にはたやすい事だった。すくい上げ、どこか安全なところへ移してやればよかったのだ。しかし水は濁っていたし、私は何故かそのような気にならなかった。私はつめたい心で蛾を見下していた」…自解文より一部抜粋。自分自身の死を見つめるとき、蛾に投影された信子自身はここまで冷静に、或いは冷酷に見つめる必要性において、内面の暖かさをこめようとしていたのではないかと、私は今でも思っている。本当は涙もろく純粋な人であった。だが他人にその涙を見せようとはしない人であったとも思う。ここには死の蛾に対する後悔としての暖かさを思う。常に信子は生と死を見つめ、その老いゆく姿まで温かな振る舞いであったと思う。