俳句する心とは何を現実社会に求めるのか

         癒しは「ああ」と思う感動の心を持ったとき

                児 島 庸 晃

 毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶に群がっていた。いまでは喜多郎シルクロードのテーマ―音楽に惹かれ、姫神富田勲の演奏に我を忘れて浸る。ここには安らぎと癒しの心が強くあり、…そうして自分自身を慰めているのであろうか。このようなとき、俳句することの意義や意味はいったいなになんだろうと思う。もっと素晴らしい社会参加があるのではないかとも。もっと良い生き方があるのではないかとも。

 その癒しを自分自身に言い聞かせながら心を奏でる俳人がいる。心の痛みを治療するには、薬では良くすることの出来ない意味を、この俳人からは知ることがが出来よう。

   生国を捨てた男といる花野  岩渕真智子

   ビルを出て春風纏う一詩人  岩渕真智子 

句集『レモン』より抽出。その生活の多くは女性ならではの強みなのかも。ここにも癒しのもたらす深い悲しみが心の奥を開いては語りかけているのであろうか。 その癒しは作り物であってはならないのだと、…そのような心になったのは真智子さんの作品を読んでるいるときだった。自己劇化は俳句の象徴的表現方法だが、それが作り物であっては癒しにはならない。人の心を弄ぶなどしていては単なる劇化である。この「生国を…」の句には純粋に見つめる一人の女性としての俳人の目が光っている。労わりの目と言ってもいい。それそのものが癒しの目であり真剣である。純粋に読むものを静め暖かさを与えるものなのだろう。そして、「ビルを出て…」の句からは自分自身に向かって慰めては心を強めている。前進する俳人の癒しを広げているのだろうか。

 さて、その癒しだが、作り物であってはならないというのが、私の持論である。…それは貴重な言葉を知ることが出来た或る日のことだった。私が第39回青玄賞をいただき、その翌年「青玄」の無鑑査同人になったときのことである。私に想像もしなかったことが起っていた。全く句が作れなくなってしまったのだ。今度は作る側から、みなさんの句を選句して優劣をつけなければならない先生と呼ばれる立場になってからの苦しみが始まっていた。このとき、私を救ってくれた言葉があった。それは、『自選自解 山口誓子句集』(白鳳社)の巻末に記載されていた「俳句・その作り方」の中の誓子の言葉であった。

 感動が先立たねばならぬ。感動は「ああ」という叫びである。感動は自己と事物との出会いによって起る。事物と出会って、思わず「ああ」と叫ぶその叫びから、俳句は生まれる。しかし、俳句の感動は、単純な事物の上にではなく、事物と事物との結合の上に成立する。

 このとき、その誓子句集には誓子を、それほどまでに有名にした話題の句があった。

   海に出て木枯帰るところなし  山口誓子

この句の存在の意味も、物を作りだすときの苦しみもわかるような気持ちになっている私が、そこにいた。事物を見て、そこには新しい発見が得られれば句になるのだと思っていた私の思考を、根底からひっくり返された私がいた。そして、事物と私の間に何かを捉え摑むものがあっても、それでは俳句にはならないことと知ったのだった。そこには、事物を見た時の「ああ」という感動がなければ、それは、ただの報告にすぎないことなのだと思った私の過去がある。

 癒しは「ああ」と思う感動の心を持ったときでなければ、全て作り物であり、何も癒されはしないのであろうとも思う。癒し俳句は作ろうと思っても作れるものではない。自己劇化することによる自分自身の心の放出は、日々の生活や仕草のなかに数多く現出するであろうが、このことに「ああ」と思える自分自身の投入はなかなか出来ないであろう。岩淵真智子の句を採りあげての考察を試みた。これからの最も大切な現代俳句の意味をなすものになるだろう。日日の生活の負の部分を助ける心の回復は俳句でも出来る。否、俳句でこそ出来ることをもっと積極的に進め実行することの是非を問いたい。