2024-01-01から1ヶ月間の記事一覧
優れた俳句作品には… 児島庸晃 一口に季語といってもその扱いの難しいのは情感の施しが如何になされているかであるが、季語を強める要素としての補助的なアイロニー言葉もある。 風に落つ楊貴妃桜房のまま 杉田久女 「久女句集」昭和27年より。この句の注…
この作品は11月26日朝刊に掲載されたものです。 仏 石 (ほとけいし) 児 島 照 夫 (庸晃) 穏やかな太陽が柔らに降り注ぐと海の朝が始まる。ゆったりとした陽の揺れが海を明るくもする。沖へと突き出た太陽光線の中でぽっかりと浮いていた。 栄三郎は…
私の母は102歳で天寿を全うしたのであるが、戦後の物資不足の時代の貧困と闘って生きてきた人であった。80歳を過ぎた頃より認知症になり施設暮らしであった。私は時々施設を訪問。近辺の散策へ連れて出ることを繰り返していた。そんなある日の記録が下…
〇詩部門 2023年神戸新聞文芸の詩4月入選紹介させていただきます。 児 島 庸 晃 初蝶 2023年4月24日朝刊掲載 現世へ生まれ すぐには飛べないか 蝶 そっと 暫く 動かず 花びらになる 〇短歌部門 2017年の神戸新聞文芸短歌1月・2月・3月・…
その一句には…人間の心を感じる言葉がある 児 島 庸 晃 多くの人間は普段の生活においては感情を表には出しません。だがその内心にがる籠もる感情を俳句言葉として表示することは出来ます。それが日々の癒しになってその日を過ごせるのです。戦後の俳人たち…
いま思えば純粋すぎるほど心の無垢な俳人だった 児 島 庸 晃 第三イメージ論を述べていたころの赤尾兜子の句に私は、たびたび涙を流すことがあった。前衛俳句の最前線にいたようにも思われていた俳人だが私はそのようには思ってはいなかった。 いま思えば兜…
俳句表現における話し言葉と書き言葉 児 島 庸 晃 俳句には決まりごとがあって、それを破ることは俳壇から疎外されると言う時期があったことを、いま私は思い出していた。昭和三五年頃のことである。俳句の散文化現象である。この頃は俳句の勃興期であり、ま…
見えているものを使って見えてはいないものを表現 児 島 庸 晃 私達が毎日を日々暮らしている世界は目視出来る二次元の世界である。目視出来ている毎日の出来事や日々の生活風景に、何の疑問も持たず生活を繰り返しているのだが、これらは二次元の世界である…
…… 変化させる面白さ…… 児 島 庸 晃 俳句を面白くさせることを考えていると、ひとつの思考が私なりに見えてくるこがある。十七音と言う言葉の制約は、言葉の扱いにおいて不自由のように思われているが、実は真逆である。本当は想像の翼を広げる自由を鑑賞者…
俳句における誇張表現を考える 児 島 庸 晃 よく聞かれる言葉に、良い俳句を作る基準とは何ですか、と唐突に話しかけてくる人がいる。当然のことのように必死で聞いてくるのだが、私としては、一度もこれだと確かな答えをしたことはない。これから俳句を作り…
もう何十年も前の話になりますが、ある俳人より私の句が有名人の俳句に似ていて真似ではないかとの意見があったことがありました。そのときのことを思い出したので書くことにしました。私の句は下記の句でした。 秋灯下宿題解けぬ子の涙 児島庸晃 類句または…
書き手と読み手のコミニュケーションギャップとは 児 島 庸 晃 よく聞く言葉に、発想が新しい、とか、発想が良い、とか俳人は批評をするが、この考えは正しくはないのである。私は偏った思考であまりにも一元的であるように思う。 書き手と読み手のコミニュ…
難 解 俳 句 を 紐 解 く 児島庸晃 俳句を何十年も作り続けていると、見るもの全てが有り溢れている句に思え、つまらない俳句に思えてくる。心で受け入れようとはしなくなる私。そんな毎日につまらなさを思う私。日々視る自然や物事にも興味が薄れてゆく私自…
……重く美しい言葉が欲しい… … 児島庸晃 私の心の奥深くに未だに消えないで残っている言葉がある。昭和四十年代の次のことばであったのだが、いまも心底にのこっていて私を苦しめている。 …斉藤正二氏は“俳句不毛の時代”だと叫び、金子兜太氏は“精進の時代”だ…
私の俳句作品が特選になりましたのでお知らせいたします。 令和6年1月8日朝刊掲載 大旦無事の脚から折りたたむ 児島庸晃 以下は選者…わたなべじゅんこ…さんの特選評です。 一年の計は元旦に在り。そんなわけで、この朝を、無事な方の脚から丁寧に折りたた…
水鏡鈴木石夫の忌のために 庸晃(2007年6月10日記述) 昨夜来の雷鳴そして強烈な雨とここ何日かは大変な天気ではあった。梅雨ではなくてマイナス15度の冷気が上空にあるとはなんとも不思議な6月ではある。紫陽花が咲きかけたその美しい色香に酔っ…
その句を…読者に呼びかけても受け入れてくれない人へ 児 島 庸 晃 俳句は面白くなければ…と言ったのは俳人としての鈴木石夫であった。この言葉が私の脳中に、未だに残っていて、時々思考する日々の私である。いま俳句はいろんな思考が氾濫していて行き場を失…
初夏われに散華のごとき骨ぞ母 児島庸晃 初夏の日差しの中に尼崎市営弥生ヶ丘斎場は白光していた。何年か前に新設された火葬場は一際目立つ大きな建造物になっていた。ここへは二回ばかり来た事はあるがとても美しいと言えるものではなかった。ところがいま…
その句に純粋性がなければ実感ではない 児 島 庸 晃 ずーっと考えていて未だに納得の出来ない事がある。感覚は鋭く新しい感覚なのに、その一句に共感出来ない時がある。どう考えてみても心が動かないのだ。そんなある日のことである。もっと単純な形に詩形を…
コマ重ね・コマ割り…について 児 島 庸 晃 文明とは、文化とはいったい何なのか。…そう思って俳句の事を考えていた。俳句も立派な文明や文化のひとつではないかと思えるようになったのは最近である。長い間、俳句は文芸の一部で趣味的な私的なものに過ぎない…
目で物を視るのではなく心で物を視よ! 児 島 庸 晃 私自身のことなのだが、私は俳句を作品と言えるレベルまで高めるのに意識そのものが高まらない時がある。何故だろうと思うことを、これまで何年も繰り返してきていた。…何時の頃からか私自身が試行錯誤を…
賀正 2024年 元旦 恵 方 へ と 翼 あ る も の 風 に 乗 る 今年もよろしくお願いします。