その句を良しと認めるのは読者

           その一句には…人間の心を感じる言葉がある

                   児 島 庸 晃 

 多くの人間は普段の生活においては感情を表には出しません。だがその内心にがる籠もる感情を俳句言葉として表示することは出来ます。それが日々の癒しになってその日を過ごせるのです。戦後の俳人たちは己との闘いに向かい日々を勝ち抜いてきました。その支えとなっていたのが…人間の心を感じる言葉…だった。私は今その検証に及び、とんでもない大変な一句に遭遇してしまいました。それは目視における具象性の必要性でした。

   落日の獣身を寄せ嘆き会ふ    三谷 昭

「現代俳句データベース」より。この句のポイントは作者の心の中にある戦後まもない頃の庶民の嘆きのようにも思え、私の目には涙がありました。この切羽詰まった個々の悲しみをまともに受けとっていました。その俳句言葉とは「獣身を寄せ嘆き会ふ」。なんと言う作者の苦しみでしょうか。戦後二年を経た時期のこの句、これほどまでに…人間の心を感じる言葉…を発せなければならない世相を、当時の俳人達はどのように受けとっていたのでしょうか。この句を印象づけている起因はと考えたとき、やはり俳句言葉の中に目視に際しての事物の具象化が強く表示されていることでした。その俳句表現が「獣身を寄せ嘆き会ふ」と言う言葉を生むことになったのだろうと私は思いました。それにはしっかりとした目視ができていなければその具象性は得られないのでしょう。その根拠は偽りではない事実を目視のなかで確認していることでした。

 数多くの俳人は一体何のために俳句を作っているのでしょうか。作者自身、自分を示し、世に名前を知らしめることなのでしょうか。いま検証を試みるに及び、世にデビューしている俳人を見ると、誰もその句がヒットするとは思っていなかったことでした。その句を良しと認めるのは読者でした。そのそれぞれの一句一句は読者の心で受けとめられた句ばかりでした。そして私の検証で見えてきたのはその一句には…人間の心を感じる言葉…でした。一句の象徴とも言える俳句言葉の裏側には、或いはその底には人間の匂いが籠り得た感情が深く強く含まれていることでした。