俳句における知覚語と観念語の相違

           ……またそれによる俳句の良否

               児 島 庸 晃

 ずーと昔のことだが、何故、俳句を作るのかと考えたたことがある。まだ私が二十歳の頃だった。そのもやもやは何日も答えの出ないものだった。長い苦悶の日々が続いた。…思い詰めた末の結論が、その頃「歯車」の指導者として大変なご苦労をされていた鈴木石夫先生に直接会って話を伺おうと思ったのである。大晦日の最終夜行汽車に乗り東京へ、その頃活躍していた荒池利治を誘って向かっていたのを今思い出している。東京駅に着いたのは朝の5時過ぎだった。まだ真っ暗の都会に立ち喫茶店を探した。その喫茶店で疲れていたのか熟睡してしまい従業員に起こされた思い出がある。午前10時、当時先生の住んでおられた駒込千駄木町に到着。一月一日元朝だった。玄関で出迎 えていただいたのが先生の娘さん(えい子さん)だった。小学2年生の頃だったと思う。正月早々失礼なことをしたと今も思っている。そこで私は無礼なことだとも思わずに、先生に…俳句を作り続けているのは何故…と尋ねたのである。先生は即座に…俳句に向かっていると、それは私自身になれるのですよ。私自身を取り戻せるから…と極めてわかりやすく簡潔に話されたのを、あれから60年余の時が過ぎたのに今も覚えている。そして…今俳句は混沌としていて理解しにくい句が多くなっている。それは観念語使用の俳句が平然と横行している…と言葉を結ばれたのである。…児島さんは児島さんでしか作れない俳句を作りなさい…と私に教えていただいたのであった。

 石夫先生の言葉を、今ふたたび思い出しながらも、改めて俳句における観念語について考察しょうとの思いになっている私である。観念語とは何なのか。それが俳句にとってどのように関わって、私たち俳人にどう受け取られているのかを、私は考えていた。観念語と言うのは一口に簡単に言ってしまえば、物を目視し説明するのに絵には描けない言語である。絵には描けない言語だから、説明しても容易には目には見えてはこなくて言葉だけが脳のなかに残るのである。生活習慣の中で得た体験を日々の暮らしの中に置き換えての意識なのである。だから意味としての観念言葉なのである。それ故に五・七・五と言う俳句形式の中で理解納得させるのは大変難しいのである。また同じように思われている俳句言葉に知覚語という感覚意識を呼び込んでの視覚言葉がある。この知覚語というのは目視物を絵に描ける言語である。目視して得られた目の中に存在している被写体をそのまま絵として描ける言語なのである。作者が感覚で捉えた目視物をそのまま絵に出来る俳句言葉であり、その目視物を鏡のように脳の中に再現出来る言語が俳句における知覚語なのである。次の句を見ていただきたいのだが…。

   消えかかる魂一つ雁の空   宮川三保子

俳誌「歯車」384号より。この句「魂」と言う言語は観念語である。この「魂」の言葉そのものは、あきらかに観念語なのである。しかもきまりきった最も普通によく使われるいろんなところで見かける日常語でもある。そして新鮮な、目を引くような言葉でもない。だが、この「魂」がこの句では 観念語ではなく、知覚語としての俳句の表現になっているのである。作者の思考の中に理解してもらうことの意識が強く、そのことのための観念語にならないようにと表現に工夫をしたのではないかと私には思われるのである。その言葉とは「消えかかる魂一つ」と観念語にならない細かな工夫をしているのである。何処が表現の工夫なのかと言えば「消えかかる…一つ」と目に見えるように、より具象へと被写体を把握しての感覚処理をしているのである。「消えかかる…一つ」は知覚語なのである。このように難しい事を考えなくてもよいのである。普通の思考の一部に生の観念語にならないように具象を少し施すだけで理解しやすくなり、より身近な感覚言葉が生まれる。より具象へと観念語を感覚へ近づけ、鏡の中に表れる映像のようにする言葉表現が成功した時に理解しやすくなるのである。この時に用いられる言葉が知覚語なのである。

 ここで同じく知覚語になりきれている句をもう一句。

   たましいのついと寄りくる草の絮   岡崎淳子

『寒葵』追悼文集(2018・2・15発行)この文集は突然の交通事故で息子さんを二十四歳で亡くされ、その後三十三回忌に際し発行された追悼文集であるが、そこに掲載されていた俳句の中の一句である。息子さんは研修医であった。それだけに母の命に向かっての思いは深くて重い。実感の籠り方に緊張感をひしひしと感じさせてくれている一句でもある。この句の発想は、句への着想が観念ではないところにあり、言葉だけが観念語なのである。その言葉とは「たましい」である。その思考のほどは「たましい」の俳句言葉をひらがな表記にしてやわらかな感覚表現へと工夫の過程が私には思える。…た・ま・し・い…と五十音表記のひらがなの一字一字の文字の形より、ひらがな一字一字の形自体が絵のように見えて、その一字自身の表情が見えてくるのだ。この俳句言葉の「たましい」は漢字表記にはしなかった。その一字一字の…た・ま・し・い…は絵として描けて、その文字自身の表情を目で見ることが出来るのである。「たましい」の俳句言葉をひらがな表記しただけなのに、本来の観念語が知覚語へと変身するのであることが私には驚きであった。

   クマンバチが私の視線を折りに来る  永井陽子 

第一句歌集『葦牙』…この本のタイトルはあしかび(一九七三年)より。短歌百十三首と俳句九十七句がここに収められている。永井陽子は「歯車」初期の仲間であった。その頃まだ高校生であった。当時「歯車」の俳誌をそれぞれの高校の文芸部に贈り読んでもらっていた。その贈呈を懸命に続けていたのが大久保史彦であった。永井陽子はその中の一人である。俳人としての基本を習得、後に歌人となり大変な人気となるのだが、平成12年1月26日病死。49歳だった。この句はまだ高校生の頃で「歯車」に掲載されていたようにも私は思う。この句を見ていて何処か可笑しいと違和感を思わせてしまうのは私だけではないだろうと思ってしまう。何処かと言えば「クマンバチが私の…」の俳句言葉である。ここで注目すべき言葉の場所が、この句のポイントとなる助詞の「…が…」の設定である。普通はこの「…が…」が散文の扱いになり締りがなくなるのでこの句の場合は使ってはならないのである。でもこの作者は俳句の定形原則を破ってまで敢えて使用したのではないかと私には思われる。何故だろう。いろいろ考えてみて理解出来たこと。それはこの助詞の「…が…」なのだが知覚語としての必要性を考慮してのことのようにも思われる。この句に「視線」と言う観念語があるからであろう。この「視線」を観念語より知覚語に変革させねばならないからであった。「クマンバチ」と「私の視線」を繋ぐイメージをよりわかりやすくするために「が」の助詞を置き、より具象化し絵になるように、目に見えるように、敢えて俳句の基本的作法を施したものと私には思われるのである。俳句においては助詞一つの扱いに際しても、使用する場所によっては観念語そのものの感覚を考慮しての具象化へと変革させる事が出来る助詞になるのである。この時に絵に描けることの出来る知覚語になる。

 ここで知覚語を細かく分析、問い詰めていて奇妙な事を思いついたのであるが数日、私自身が戸惑う事になってしまうのである。その俳句と言うのは次の句である。

   ふらここ漕ぐ翼の生えてくるまで漕ぐ  諏訪洋子

句集『素顔は水』より。この句は全ての俳句言葉が具象なのに俳句そのものは抽象なのである。読者が受け取る感覚が抽象なのである。でも良く理解出来るもので、従来の理解不能なこれまでの俳句とはあきらかに違うのである。本来は抽象言葉は観念語なのである。…この時に私の戸惑いが始まっていたのだ。何処の部分が従来の抽象とは異なるのか。全ての俳句言葉が具象なのに俳句全体から受け取るものは抽象。何故なのだ。考えて得られた結論が、知覚語と観念語の関わりの問題であると理解出来るまでに数日を要していた。この句と言うのは二文節の上の部分と下の部分よりなり、二者衝撃の効果を問いただす句でもある。上の部分の「…漕ぐ」と下の部分の「…漕ぐ」の衝撃である。この二つを結ぶ二つの「…漕ぐ」はリフレインなのである。しかも二つの「…漕ぐ」は動作を示す動詞である。動作を示す動詞が一つだけなら具象である。この動作は絵に描けるので知覚語である。この二つの具象の動詞をリフレインさせると絵に描けなくなってしまうのだ。これは観念語になってしまうのだ。この句全体から受け取る感覚は観念語で絵に描けないものである。意味と意識だけの句になる。だが私がこの句を注目したのは、あきらかに知覚語の俳句なのである。ここでこの作者は工夫をして観念語の俳句にはしなかったのだ。それはより具象としての詩語を用意していたのだ。俳句言葉「翼の生えてくる」の言語を準備して、俳句そのものを具象化して知覚語へと導き感動にまで高めて読者を誘いこんでいるのである。

   木がらしや目刺にのこる海の色   芥川龍之介

現代俳句協会「データベース」より。35歳で自死の小説家であるが俳人としても良い句を残している。この句は俳句言葉が知覚語と感念語の入り混じった俳句である。ここで注目すべき事があるのだが、「木がらし」の俳句言葉は季語である。この季語に関わるときにふと私は疑問をもつことになる。…季語は観念語なのか知覚語なのか。俳句で季語が必要だというのは、観念語としての季語であれば季語は、俳句においていらないことになるのではないか。季語は知覚語としての考え方でなければ、季語はいらなくなるのでは、私はいま真剣にそして懸命に思い込んでいた。もともと季語は人間生活の環境の中での自然に反応して生まれた季節感なのである。それ故に作者が受け取る感覚、或いは感情語がもりこまれての季語である。だから季語そのものは絵には描けないのだ。ならば季語は観念語なのでは…と私は思う。いま私は思う。季語を知覚語にしなければならない。即ち絵に描けてその絵は目に見えるようにしなければならない。それは知覚語にすることである。この句の場合、季語の「木がらし」はどうなのか。一言で言ってしまえば失敗作。この「木がらし」の俳句言葉の表現では絵には描けない。もっともっと具象化された実態が目に見えてこなければ、言葉だけのものになってしまう。季語には、このような安易な思考が暗黙の了解のように、固定された観念のもとに決まりきった意識として存在しているのだ。これは意味として、その意味を強く主張していることになる。…これを観念という。季語は観念語なのであろうか。季語は知覚語として感覚で受け取り、目に見えるように、絵に描けるように表現される事が望ましい。

 

 知覚語と観念語は全くの正反対の言語である。作者が句を作すときに、目視した時に知覚語と観念語をわざわざ分けての思考はしていない。目視した瞬間には、全て知覚なのだ。作者が被写体を受け取った時には、感受した時には知覚のみなのである。ところが俳句を作すときに、どうして観念になってしまうのだろうか。不思議なことなのだが、俳句そのものが出来上がった時点では観念が入り混じり観念語俳句になっている。私には納得がゆかないのである。句に対する姿勢に素直さがないようにも思う。何故か意味を求める。これは観念なのである。俳句は作者の感性を求めるものでありたい。知覚語と観念語の相違を探求して書いたのであるが、あまりにも観念語の俳句が多すぎるように思う。俳句は作者の感性を大切に保ち、作者が目視した知覚語で作したいものである。観念語で俳句を生む事をすべきではないようにも思う。