俳人は何のために句を作っているのか

      作った句はどの俳人もその句がヒットするとは思っていなかった
                児 島 庸 晃
 昭和の句も、昭和後期に入ると、目視の心はより深く象徴的に物事を静かに鎮静させて、読者の想像を期待しているかの表現に変革する。
 
    物音は一個にひとつ秋はじめ    藤田湘子
 
句集「一個」昭和59年より。「秋はじめ」の素直な心の在りようをそのまま俳句言葉にしているのであるが、ここには偽りのない寂しさが私には迫るように心を動かせて強く響いてくるのである。その具体的事実は「物音は一個にひとつ」の言葉より理解出来た。作者は「物音」に耳を傾けて聞いているのだが、ここにも作者の真剣な心の動作の本物感がある。それは俳句言葉「一個にひとつ」なのである。つまり一個一個の動くときに発生する音を克明に心で記述しているのであろう。これから到来する秋の一抹の寂しさを物音より感じ受け取っているのです。この表現に…人間の心を感じる言葉…が強く存在。その俳句言葉が「物音は一個」なのです。具体的に物事を目視することにより…人間の心を感じる言葉…は表示されるのです。ここには作者の作為はない。真実の強い存在感そのもの。この句を読者は素直に受け取り、心が綺麗になってゆく句心の一句であるようにも私は受けとっていた。
 この象徴的表現の具体性は作者の内心と結びつき、もっと心の奥へ…人間の心を感じる言葉…を示すことにもなる。 
 
    晩年の全景ならむ裸の木    倉橋羊村
 
句集『有時』(平成13年)より。この句には作者の歴史ともいえる時間の存在感の心を感じる言葉として強く表示されている。その俳句言葉は「晩年の全景ならむ」。ここには作者のこれまで生きてきた時間の懸命な一途な心の有様が克明に刻み込まれているようにも私には感じられた。その俳句言葉が「晩年の全景」であるのだろう。また同時に私が思うのには現実の在りのままの「晩年の全景」なのではないか、ふとそんな気持ちがする。「晩年の全景」は…人間の心を感じる言葉…でもあるのではないか。この句の目視は「裸の木」なのだが、ここに作者自身の人生を見つけてしまったのだろう。読者は句の中に人間の匂いを感じなければ、心への受けとりは出来ないものである。作者は表面には表示されてはいないけれど、もう一人の作者自身を見てしまっのだろう。この句は…人間の心を感じる言葉…が中心にクローズアップされた俳句言葉になっているようにも私は思った。 
 俳句表現を充分に充たすには何が必要なのかが、終日私の思考から離れない日々が続いていた。いろんなことがとめどなくて止めようがないほど浮かんでは消えてゆく。全く纏まらないのだ。その多くの思考の中で、やはり、より具象性を必要とするのが俳句なのだろうとの考えが私の脳中に残った。それはより単純な具象性のものがベストなのでは、と一応の結論を得た。何故かと言えば人の心を感じる言葉は具象性がなければ出せないようにも私は思った。それは細かい具象の部分がきめ細かく表示された俳句言葉を読者は望むからです。こころ表現の心理は細かい言葉の表示がなければ理解されにくいことによるものであろう。
 
   東京に信濃町あり春一番    飛永百合子
 
「歯車」339号より。この句は第5回東京多摩地区現代俳句協会賞受賞作品の中の一句である。何よりも私の気持ちを惹きつけた受賞時の作者の言葉がある。
…仏像を作る人を仏師といいますが、「仏様はすでに木の中にいらっしゃる、ちよっとお手伝いをしてそこからお出ましいただくのが仕事」と聞いたことがあります。自分の目指す俳句ももう未来に出来ているのでしょうか。この作者自身の言葉の中にも人間を感じる言葉が溢れています。俳句は作る依然の心構えが大切。そこで俳句言葉としての「東京」は概念としての、或いは地名としての東京」ではないように私は思いました。この作者にとっては「東京」は単なる地名ではなくて、日々生活の場所であり作者自身の心のなかの場所なのです。常に故郷の生地が籠り続けていて、いまもその気持ちは消えてはいないのでしょう。心を表現するには、よりきめの細かい具象性が見える表現であること。この句ではその俳句言葉が「信濃町あり」なのです。「信濃町あり」は作者の心を感じる言葉になっているのが私には理解出来ました。「信濃町」は都心の中に在りながらも、緑豊かな犯罪のない地域です。「信濃町あり」は…人間の心を感じる言葉…なのです。寒い季節から春への移り変わりを感じる「春一番」が町中の緑を揺らせて心を豊かにする時間の中に作者が放心している姿が私の目の中にありました。
 多くの人間は普段の生活においては感情を表には出しません。だがその内心に籠もる感情を俳句言葉とし表示することは出来ます。それが日々の癒しになってその日を過ごせるのです。戦後の俳人たちは己との闘いに向かい日々を勝ち抜いてきました。その支えとなっていたのが…人間の心を感じる言葉…だった。私は今その検証に及びとんでもない大変な一句に遭遇してしまいました。それは目視における具象性の必要性でした。
 
   落日の獣身を寄せ嘆き会ふ    三谷 昭
 
「現代俳句データベース」より。この句のポイントは作者の心の中にある戦後まもない頃の庶民の嘆きのようにも思え、私の目には涙がありました。この切羽詰まった個々の悲しみをまともに受けとっていました。その俳句言葉とは「獣身を寄せ嘆き会ふ」。なんと言う作者の苦しみでしょうか。戦後二年を経た時期のこの句、これほどまでに…人間の心を感じる言葉…を発せなければならない世相を、当時の俳人達はどのように受けとっていたのでしょうか。この句を印象づけている起因はと考えたとき、やはり俳句言葉の中に目視に際しての事物の具象化が強く表示されていることでした。その俳句表現が「獣身を寄せ嘆き会ふ」と言う言葉を生むことになったのだろうと私は思いました。それにはしっかりとした目視ができていなければその具象性は得られないのでしょう。その根拠は偽りではない事実を目視のなかで確認していることでした。
 
 数多くの俳人は一体何のために俳句を作っているのでしょうか。作者自身、自分を示し、世に名前を知らしめることなのでしょうか。いま検証を試みるに及び、世にデビューしている俳人を見ると、誰もその句がヒットするとは思っていなかったことでした。その句を良しと認めるのは読者でした。そのそれぞれの一句一句は読者の心で受けとめられた句ばかりでした。そして私の検証で見えてきたのはその一句には…人間の心を感じる言葉…でした。一句の象徴とも言える俳句言葉の裏側には、或いはその底には人間の匂いが籠り得た感情が深く強く含まれていることでした。