2023-12-01から1ヶ月間の記事一覧

今日は大晦日…私の思う事

私のブログ訪問読んで下さりありがとうございました 児 島 庸 晃 今日は大晦日。祇園より八坂神社を抜け、平安神宮へ歩いた俳句仲間の思い出がある。坪内稔典、山内侘助、砂口加津子、立岡正幸、坂口芙民子、そして私。みんな20代であった。稔典は立命館大…

忘れじの俳句

伊丹三樹彦句碑を訪ねて…(2008年3月8日記述) 今日は早朝より梅を見に綾部山梅林に行って来ました。兵庫県たつの市の瀬戸内海側にある二万本の梅林です。主に梅酒や梅干用に昭和43年12月に植栽されたもので本来は観賞用ではありません。ですが、…

昭和40年代の青春俳句

俳句結社「青玄」青春俳句をふりかえって 児 島 庸 晃 俳句は作者の生き方或いはどう生きるかの思考がなければ、読者がその作者には寄り付いては来なくなっていることを、俳人は知らねばならない時がきているように思うのは私だけではないのだろう。俳句の表…

 俳句は…たった一行の織り成す言葉 

その一句に表現されてはいない言葉の存在を知る 児 島 庸 晃 俳句はたった一行の織り成す言葉である。その中から表現されていない言葉にこそ抒情が隠されている。その言葉が想像出来る言語が一行の十七音に含まれることこそ大切なのである。一句を完成させる…

私個人のメモリアル①

おーいお茶自販機販売のお茶に私の俳句掲載 児 島 庸 晃 おーいお茶第25回新俳句大賞入賞 私の俳句掲載のお茶が贈られてきました。インターホーンが鳴り外へ出てみると荷物を持って立ってる人がいました。受け取ってみて吃驚。自販機販売のお茶2ダース入…

「死」へ向かう「生」の美学…俳人……桂 信子

「滅び逝く美しさかもね」という俳人がいた 児 島 庸 晃 「滅び逝く美しさかもね」という俳人がいた これは桂信子の句集「新緑」を読んでの感想を私に語ったときのことである。私も、そう思えるものがいくつもあったと思い出していた。 さしかかるひとつの橋…

あめんぼに自分の私性を託す俳人門田泰彦

一生を結核とも人生とも闘い死した俳人の記録 児 島 庸 晃 2007年2月14日朝のことであるが私にとっては忘れられない思い出がある。24時間勤務を終えて施設を出ると身体ごと吹っ飛ばされる。不意打ちというただならぬ出来事。ふたたび両足で踏ん張る…

俳句の本物とは何なのか

私 性 の 句 体 を 再 思 考 児 島 庸 晃 日々の生活の中で本来の人間の心を真に維持してゆくのが、どれほど大変なことなのか。冬日が私に囁きかけてくる部屋の隅でその日差しを見詰めていた。そしてその傍に置かれた新聞を見詰めていた。その新聞の連日の見…

神戸新聞読者文芸 私のメモリアル④

神戸新聞読者文芸 小説部門入選作品 予 想 屋 … 哲 ち ゃ ん (2017年12月4日朝刊掲載) 児 島 庸 晃 哲ちゃんの目から一粒二粒と大粒の涙が落ちる。落とすまいと顔をあげて哲ちゃんは涙を堪えた。 春の青空は何処までも澄みきっている。天を仰いでい…

読者は俳句の何に興味があるのだろう

俳 句 は 一 人 称 表 現 児 島 庸 晃 文章の書き方は三つある。一人称、二人称、そして三人称。私は一人称、貴方は二人称、私達は三人称。このうち俳句は一人称である。私性の文体(句体)と言われる所以である。現代俳句は一人称で物を捉え、即ち一人称で…

俳人は一体何のために俳句を作っているのでしょう

昭 和 の 俳 句 を 思 考 児 島 庸 晃 時々ではあるが、俳人は何のために句を作っているのかとも思うときがある。そうして導き出した答えが、私自身を本来の「私」に戻すことなのだと思うようになった。社会生活の中での日々の汚れから、純粋な本心を取り戻…

メタバース(三次元の仮想空間)

伊丹三樹彦先生が求めたものとは 児 島 庸 晃 メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き換えての思考へと、…

句座(句会)って何なのだ?

歳末の先のとがった風見たか 児島庸晃 午前6時に家を出て通勤のため電車の駅へ向かう。ふと見ると国道2号線の温度計は1度を示していた。やっぱり師走の月なのだと思い知らされる。体中が硬直して足が前には運ばない。腕に力を入れては身体を推し進めるの…

俳句言葉の一つである…造語の成否

造語を理解するための補正言葉 児 島 庸 晃 文学作品に作者の個性を際立たせて表現することを私性の文体と言うのだが、俳句にもそれに類する表現スタイルがある。日常の生活状況の中で私を中心とした視点に全てを集約させ物事を捉える感覚作品である。どのよ…

俳句を理解するには可読スピードがいる

具象・論理・客観…を求める人と……抽象・イメージ・主観…を求める人がいる 児 島 庸 晃 俳句を鑑賞する時にすぐ理解出来るものと、時間のかかるものがある。これらのほとんどは表現方法にあるのではなかろうかと思うことがある。句会の席で句が多数あるときは…

新興俳句運動における俳人たち        

迫りくる戦争というなかにありても如何に感情が大切であったか 児 島 庸 晃 新興俳句運動は迫りくる戦争へ向かっての熱い闘いではなかったかと改めて思う。このように前置きをしておかねばならない。その新興俳句運動のきっかけを作った場所は京都・ミヤコホ…

俳 句 の 表 記 革 命

――ワ カ チ ガ キ 考 察―― 児 島 庸 晃 俳 句 実 作 者 と 読 者 先日「青玄」の19周年全国大会が200人近い参加者を得て神戸で行われたとき、伊丹三樹彦主幹は「私がワカチガキを始めて行ったとき、賛同者は三人しかいなかったが、いまは逆にワカチガキ…

俳句はアナログの詩形

俳句言葉はデジタル化されてはならない 児 島 庸 晃 俳句を作っている良さはなになのだろうと考えてみるときがある。そして多くある文芸のなかで何故句つくりをするのか、考えているときは私にとっては一番幸せな時間なのかもしれない。物を見て感じて何かを…

一句の成否を決める連想言葉とは何なのか

徹底して物を見尽くさねば…… 児 島 庸 晃 俳句は連想言葉の集合体である。またパーツ言語の集合体でもある。それぞれのパーツがいくつか組み合わさって完成されているもの。それぞれのパーツを組み合わせるには、それぞれの言葉と言葉のパーツを合わせる接着…

心の底へ染み入るエスプリ俳句とは…

・理性が先行すれば感性が鈍る 毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚のうすい句のなんと多いことか。個人の生活を詠うにしてももっと心の底へ…

俳句表現では技術と技巧は違う

俳句は十七音律の特異スタイルだが、ことほどに言葉選びを適確にしなければならない短詩形文芸は他にないだろう。一語一音たりともおろそかには出来ない句体なのである。それ故に従来より技巧が重んじられてきた。そして多くの俳人が上手な句を作ろうと努力…

心を純真無垢にすることに失敗自死した俳人永井陽子

俳句の感情表現は心が無で白くなけれは、本心は表面には出てきにくいもの。それらは直情表現になり、全ては説明言葉になる。俳人個々の信条は私言葉になり、真実感がない、詩にはならないで作り言葉になる。内心が無色透明だからこそ、すべてを目にする俳人…

俳句を生むためのポップ言葉

新 感 覚 の 俳 句 を 求 め て 児 島 庸 晃 私がポップ言葉……ってなんなのだろうと思うようになったのは随分と昔のことである。そしてそのことが俳句にも使用され、凄く心理の強さをくすぐる言葉なのだと思った時より、もう数十年が経る。ポップ言葉とは、…

俳句における知覚語と観念語の相違

……またそれによる俳句の良否 児 島 庸 晃 ずーと昔のことだが、何故、俳句を作るのかと考えたたことがある。まだ私が二十歳の頃だった。そのもやもやは何日も答えの出ないものだった。長い苦悶の日々が続いた。…思い詰めた末の結論が、その頃「歯車」の指導…

俳句における味のいろいろ

俳句の個性とは…そのように思って俳句の道を50年余も歩いてきた。だが、私にとっての俳句の道の始めは、高校生のときだから遠い昔である。…にも関わらず、いったい何を学んできたのだろうか。未だに何も会得していないのだ。そしてその多くは俳句の味を、…

神戸新聞読者文芸 私のメモリアル③

神戸新聞読者文芸 小説部門入選作品 河 川 敷 の 哲 ち ゃ ん 児島照夫(庸晃) (2004年3月8日朝刊掲載) 冷たい雨の日だった。「お願いだから死なせてくれ」。私の手を掴み必死に懇願する男。名前は哲ちゃんと言う。足首にくくりつけるコンクリ^と…

俳句にも文体と言える…句体がある

俳句が魅了されるには秘訣がある 児 島 庸 晃 俳人の個性を調べていてわかった事がある。その特色と思えることの一つに俳句にも多種多様な表現文体があるのではと思えることがある。その事のほどが読者を魅了するのだとも思えた。散文の文章には書き手の独特…

俳句は瞬間の感動が最も大切

作者の心の艶が具象的に表現されたものが俳句 児 島 庸 晃 私達の心には…襞(ひだ)…がある。その襞に多くの物がひっかかる。その時の感触を、私達は…感情…と呼んでいるのではないかとも私は思う。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさ…

俳句における虚と真実

俳句は何故面白くなくなってしまったのか 児 島 庸 晃 何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていてもすこしも面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会では作者名を…

梅の季に思う(2006年3月12日記述)

梅の村ハープ奏での雨になり 児島庸晃 今日は朝から雨の一日になった。春になる前には雨が多く、そして雨の後には寒くなる。体の調子がガタガタと崩れる。頗る悪い。 …こんなとき気分を良くしようと「雨」に目をむけても自分自身を勇気付けてみたくなる。雨…