梅の季に思う(2006年3月12日記述)

         梅の村ハープ奏での雨になり   児島庸晃  

 今日は朝から雨の一日になった。春になる前には雨が多く、そして雨の後には寒くなる。体の調子がガタガタと崩れる。頗る悪い。 

 …こんなとき気分を良くしようと「雨」に目をむけても自分自身を勇気付けてみたくなる。雨に「ハープ」を奏でさせ「梅」を見る。果たして気分は良くなるものなのか。

この鬱のまま或る俳人を思い出していた。赤尾兜子…或る時期より鬱を抱え込み自死する。毎日新聞の記者でもあった兜子はその定年より鬱になる。

    大雷雨鬱王と会うあさの夢    赤尾兜子

昭和49年作。この句の前後の事を知る私にはその所作に怖さを感じていた。「渦」の同人でもあった私は、当時第三イメージ論を持ち出し語る兜子に凄いパワーを感じていた。物には…指示されるものと、指示するものがあり、この両者から導き出されるものを第三のイメージとして期待する、というもの。当時金子兜太・沢木欣一・原子公平、各氏などの「風」グループの社会性俳句論の中にあり、その句の純粋性が個人にまた私性にあることを主張していた。

 このとき「渦」の同人だった坪内捻典や中谷寛章は総合誌「俳句研究」で公開質問状を出し詰め寄ったことがある。その後社会性論は消え私性へと回帰する。このことが後の私の原点にもなり、また坪内稔典のその後を形成しているようにも私には思える。

 そしてこの梅の季節。赤尾兜子の心を決定してしまう恐ろしさを思い出していた。

    壮年の暁(あけ)白梅の白験(ため)す 兜子  

昭和46年作。「歳華集」所収。兜子の心の中にある少しの汚れを白梅の白に試すこの純粋によって出来た句。私性を貫こうと頑張る。その後かなりの年数を経て自死する。阪急電車御影駅付近の踏切で身を投げた。早朝、妻の恵以さんに「煙草を買いに行く」と言って出たきり帰らぬ人となる。その純粋さは鬱を更に鬱にしていったのだろう。