句心と言うものは…現代の俳句言葉

 作句時の作者の心中には、無心に目視している必死な心があらねばと私には思える。この時は心は純色であらねばならない。心は目視にだけ集中できる無に等しい心境が存在していたのだろう。汚れのない心中が目視には必要なのである。この時に、はじめて目視は可能になる。よく聞く言葉に…俳句が作れないのよ…と言う言葉を聞くが、これは俳句が作れる心にはなっていないからである。心が汚れ切っているから…。物事を見ていても心を空白にしていなければ何も見えてはこない。下記の句は、これらのことを考慮していて作れる心を保持している句なのである。

   背中から春の時雨に溶けてゆく   宮川三保子

句集『黄砂』より。この句の作者の素直な心に私が何時の間にか素直になってゆく句心の俳句である。それは作者の心の中が真っ白であるから…。物を目視するのに汚れのない気持ちの心を持っているからである。「溶けてゆく」と言う俳句言葉は、容易には思いつかない言葉なのではなかろうか。物事が強く細かく見えている。普段の日常生活の慣らされた習慣の中で物事をよく見届けるのは、よほど心の中を純白していなけば見えてはこないし、心には飛び込んではこないもの。俳句の感情表現は心が無で白くなけれは、本心は表面には出てきにくいもの。それらは直情表現になり、全ては説明言葉になる。俳人個々の信条は私言葉になり、真実感がない、詩にはならないで作り言葉になる。この句は内心が無色透明だからこそ、この句を目にする俳人の心に受け入れられるのである。それが「背中から…溶けてゆく」なのであろう。心には雑念が詰まっていては物は見えてこない。「背中から」の俳句言葉は作者自身の存在感を正面で受け止めた瞬間の純粋感である。ここには感覚としての無色透明を含む気持ちを感じさせている。だが、疲れた心を真っ白の心へと変革する過程で心を磨き損ねると作者自身、自分自身を見失ってしまうこともある事を考えねばならない。自分自身が純白へと抜けきれないで命を絶った俳人もいることを私は思い出していた。俳人永井陽子である。世に知れ渡るのは歌人としてなのだが…。1999年2月より40日間肺炎で入院しているが、2000年1月26日に死去。文献によると自殺だった。文芸への出発点は高校生の頃、「歯車」だった。

   自らの影折りながら冬野行く   永井陽子

「歯車」94号より。俳句言葉「影折りながら」は発想の段階で相当傷ついているのであろう。普通人は「影折りながら」とは思いつかないだろう。目視しているのは作者自身の地面に投影された身体なのだろうが、前進するのに「影折りながら」とは自虐の心をして見ているのだろうか。この心は無色ではない。従って無の心にはなっていないのである。この句を作った時、心は相当汚れていたのではなかろうか。自分を責めてはだめ。自分を追い込んではだめ。心を空っぽにしておかなければ俳句そのものが汚れてしまう。人々に共感を与えることはできないだろう。詩情としての俳句言葉にはならないようにも私には思える。永井陽子は結果として純粋の心へと進む過程で、あまりにも純粋すぎていたのであろうか。

 自分自身が、或いは作者自身が、真実無になり切れている句には汚れがない。その句そのものが真である。

   死なうかと囁かれしは蛍の夜   鈴木真砂女

句集『都鳥』(平成6年)より。人は心に鬱がたまると、無口になるのだろうか。しかしこの句は違う。その人は鬱になっても話しかける相手がいるのだから…。何かの困り果てた事情があるのだろう。ここには支えあえる二人の関係がある。この句はお互いの気持ちを共有出来る時間を持つことが出来る。それが読み取れるのが「囁かれしは」の俳句言葉である。話かけられた相手の心は、「死なうかと」の言葉を聞く冷静さがあり、心は無に近い状態の時なのだろうと私は思った。つまり作者…鈴木真砂女…である。つまり無色透明の心で物事を受け止めている。この句の優れているのは無心に相手の話を聞けるだけの気持ちで、汚れのない真っ白の心を示していることである。心を無にすれば真の姿になれる。ここには偽りのない真の心の俳句の緊張感がある。目視は作者自身が何時も無になり、汚れの気持ちを心に残さないことである。作者は何時も心を無心にして目視をしなければならない所以である。