2024-08-01から1ヶ月間の記事一覧

俳人は一体何のために俳句を作っているのでしょう(再掲載)

昭和の俳句思考を再認識する 児 島 庸 晃 時々ではあるが、俳人は何のために句を作っているのかとも思うときがある。そうして導き出した答えが、私自身を本来の「私」に戻すことなのだと思うようになった。社会生活の中での日々の汚れから、純粋な本心を取り…

俳句における目視とは何……

目で物を視るのではなく心で物を視よう 児 島 庸 晃 私自身のことなのだが、私は俳句を作品と言えるレベルまで高めるのに意識そのものが高まらない時がある。何故だろうと思うことを、これまで何年も繰り返してきていた。…何時の頃からか私自身が試行錯誤を…

人間的な優しさと温かさとは………文芸作品の心

我が母のメモリアルより文芸作品あれこれ 児 島 庸 晃 私の母は102歳で天寿を全うしたのであるが、戦後の物資不足の時代の貧困と闘って生きてきた人であった。80歳を過ぎた頃より認知症になり施設暮らしであった。私は時々施設を訪問。近辺の散策へ連れ…

他人の言葉に傷つき社会から疎外された時…………俳句の心

俳句を作っている魅力とはいったい何なんだろう 児 島 庸 晃 毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽…

「虚」の世界にある真実とは……俳句の心

空想の面白さにおける現実にはありえない虚景 児 島 庸 晃 俳人酒井弘司さんは、私が俳誌「歯車」復刊2号に入会して最初に感動を受けた人でした。昭和三二年のことである。そのころの「歯車」は⒓ページほどの筆耕によるガリ版刷りの印刷であった。鈴木石夫…

20代後半身も心もボロボロ……一人の女流俳人に救われた私

文体改革のパイオニア……俳人坂口芙美子 児 島 庸 晃 神戸は坂の街である。元町より下山手通り、中山手通り、山本通りを斜めに横切るとこのあたりより坂の道に出る。更に先へと坂を上ると北野町に出る。洋風建築のテラスがまぶしく輝く。風見鶏のある館が目に…

話し言葉と書き言葉……俳句の現代における表現とは

俳句を日常の話し言葉として捉えその緊張感としての重さ 児 島 庸 晃 昭和三五年頃のことである。俳句の散文化現象がおこる。この頃は俳句の勃興期であり、また乱立の時期でもあった。有季・無季。超季・自由律・多行形式(三行書き)とその表現においても乱…

人間独特の情感とは……物事は観念ではない

俳句言葉も誤解や曖昧さのためその句は伝達出来なくなる 児 島 庸 晃 人間独特の情感を深く追求してゆくとそこには本来の言葉の成立と関わっていることのようにも私には思えるようになってきていたいまがある。日常の生活を順調に過ごしてゆくには言葉の齟齬…

私の個人誌「文芸通信」こころの散歩より

●認知症つらつら(2006年3月6日記述) 児 島 庸 晃 痴呆と知り痴呆受け得ぬ眼には春 庸晃 先日朝のことであるが勤務先の防災センターへ70歳過ぎであろうおばあちゃんが飛び込んで来て「お掃除に来たんだけどわからないの」と言う。 「お掃除をする場…

俳句における情感とは何か……

俳人春田千歳さんへのオマージュ 児 島 庸 晃 俳句における情感とは何か…を思考しているとき、句集「蟬氷」を頂きありがとうございます。吃驚しました。この句集には千歳さんの心がいっぱい詰まっての叫びだったのですね。句集を出さねばの心の程が理解でき…

俳句の形は二つ……「物」俳句と「事」俳句

寄物陳思俳句考とは何を考える 児 島 庸 晃 俳句は誰のために詠むのだろうかと思うことがある。何のために何の目的をもって詠み続けるのだろうか。ましてや句会で最高点を得るために俳句を作っているとも思えないのだ。 …このように簡単に割り切ってしまえば…

難解俳句を紐解く

言葉のラッピング方法により俳句の難解性をなくそう 児 島 庸 晃 三月の甘納豆のうふふふふ 坪内捻典 この句は昭和の終わり頃、話題になった坪内捻典の代表句のひとつでもある。当時難解句として物議を醸した句でもある。どこが難解なのかと言えば、作者の表…

俳句は目視時の感覚で捉え心の感覚感情で理解する

心象表現には五感があるのだ 即ち視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚 児 島 庸 晃 思考をどのようにして察知すのかと思うのだが、それは感覚である。人間には五感があるのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。そのうち俳句は視覚の部分が殆んどである。これらの部…

戦後俳句を検証する

俳句には意味としての言葉は通用しない 児 島 庸 晃 最近、気になる言葉がある。若者たちの間に流行している言葉。…それは「ヤバイ」の言葉。意味は最高に良い、ということなのだそうだ。本来の意味は「危険」なんだが、言葉の意味が変革されているのだ。そ…

エスプリ俳句の魅力

柿畑文生句集『亜流』俳句考 児 島 庸 晃 短詩形文学の魅力は何なのだろうとずーっと思考してもう五十年が過ぎる。その私の俳句人生よりも更に長年の含蓄を積み重ねてきたのが柿畑文生さんである。そんな柿畑さんから届いたのが句集『亜流』であった。そこに…

虚と真実……芭蕉の句は全てが虚であった

俳句は何故面白くなくなってしまったのか 児 島 庸 晃 何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていてもすこしも面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会では作者名を…