俳句における情感とは何か……

             俳人春田千歳さんへのオマージュ

                 児 島 庸 晃

 俳句における情感とは何か…を思考しているとき、句集「蟬氷」を頂きありがとうございます。吃驚しました。この句集には千歳さんの心がいっぱい詰まっての叫びだったのですね。句集を出さねばの心の程が理解できました。その多くがアイロニーによる自己劇化、それによる心の叫びを呼び込むことに私は惹きつけられていました。次の句などには、俳句へと向かう真剣さを感じます。そしてここに描かれた句稿には絶え間なく迫ってくる緊張感を受け取りました。

   生き生きとポピー一本一グラム

   力無く咲いて長生き水中花

   イエスとは笑わぬ男冬泉

   コーンスープお一人様のあたたかさ

   姿見に微妙な歪み八月来

どのような事に対しても視線は何時も作者の眼を持って受け止める思考に、私は千歳さんの普段からの日常生活の純粋さを感じます。物がとてもよく見えていますね。作者としての…私…が、句の中に見えていますよ。アイロニーは、ときとして理屈になりがち、観念なのですが、そのようなことも感じられなく、なんの戸惑いもなく受け取る事が出来ました。そしてこのことは何故なんだろうと考えました。…結果、私に分かったこと、それは情感の動きの微妙な揺れを通しての真実感が、即ち緊張感を生んでいるのだろうと思います。

   ラ・フランス絶対転ばない自信

この句については、以前にも「歯車」誌上でも書いたかとも思いますが、これこそアイロニーの濃ゆい句なのです。千歳さんの視線の先にある「ラ・フランス」。すこし不安定だが微動だにしない物体を、千歳さんは動かせようとしましたね。そのことは言葉としては表現されていません。でも私には分かるのです。何故かと言えば、何も喋らなくても、この句には表現されているのです。…「絶対転ばない自信」と、千歳さん自身が自ら立証しているじゃないですか。この事そのものの心の動きがアイロニーなのです。でも理屈にはなってはいません。ここには細かい作者自身の心が情感となって動いていて真実を告げているからなのです。作りごとではないからです。俳句を言葉感覚で書いていないからでしよう。

 だが、千歳さんの句を見ていて、すこし不安な面を感じることがあります。あまりにも理解し易くするために現場主義になり説明しすぎてはいないでしょうか。現場主義になさらないことを心掛けるようお願いしたいのです。

    父に似た男上野で兎売る

    両の手で子の顔包む夜の秋

これらの句からは緊張感が感じられません。伝達性を考慮しての配慮だと思われますが、あまりにも細かく物体を捉えてしまうと臨場感が薄れてゆくようにも思いますので、私の思うのは、もうすこしフラットな接しかたの方が緊張感が生まれ、句に迫力が出てくるのではないかと思うのですよ。これは私の思ったことなので気になさらないでくださいね。

 女流俳人として稀なアイロニー表現者、優秀な思考のゆきつくところは果てしない魅力、千歳さんは凄く深い魅力を温存した俳人だと思っていますので、更なる句への挑戦を試み、一歩一歩の努力の素晴らしさを魅せて下さい。また、期待の大きい俳人だと思っています。ともあれ上梓おめでとうがざいます。