私の個人誌「文芸通信」こころの散歩より

           ●認知症つらつら(2006年3月6日記述)

                  児 島 庸 晃

          痴呆と知り痴呆受け得ぬ眼には春 庸晃

先日朝のことであるが勤務先の防災センターへ70歳過ぎであろうおばあちゃんが飛び込んで来て「お掃除に来たんだけどわからないの」と言う。

「お掃除をする場所は」と聞くと「それがわからないのよ」とおばあちゃん。

防災関係以外の飛び込みの人はいくらもあるがこんな話はなかった。どうやらもじもじとしていて戸惑うばかり。同じことをくりかえし話は尽きない。聞けば自分自身の名前もわからず認知症なのだろうと知る。

 そのときふーっと頭に浮かんだ事がある

「何処のどなたさまでしたか」と聞く私の母の事だった。今年99歳になる母は施設にいて食事だけは活発で誰にも負けないらしいのだが、その他はさっぱり。私を見ていても全くの他人であった。何とも言えない寂しさに、そしてむなしさが私をおそった。ゆっくりと怒りが私をおそった。

    老いてゆく目玉あたたか花辛夷   庸晃 

母の眼をじっと見続けていた私。そこには99歳の眼ではなく暖かい血流が確かにあった。いま、行く場所のわからない70歳位のおばあちゃんは俯き黙って防災センターを出てゆく。今乗って来たバスの方向へゆっくりと足を踏み出していた。手には老人無料のバス券を光らせて…。そこには春の日差しが周りをほの温かく照らしだしていた。

 

       ●奇物陳思と言うものは(2006年3月10日記述)

               児 島 庸 晃

   立冬やひとはぬくみを目に灯す   庸晃

ときどきではあるが俳句の出来る場とか瞬間のようなものははたして何なのだろうか…そんなことを真剣に考えてみる。奇物陳思と言う俳句の基本は発句が俳句として独立独歩を始めたときから変わりはない。しかし今「奇物」ではない俳句のなんと多い事よ。そしてそれらが大きな顔をして本物俳句であるかの登場はなんとも軽々しい。

 昨年のことであったか。この「奇物」のもつ素晴らしさに出会ったことがあった。日暮れが少し短くなりかけた玄関先でのこと。玄関のドアホーンが鳴り出てみるとそこには老女が立っていて、話をするや涙を流し止ることのない状況になる。私は老女の目をじっと見つめていた

 「ありがとうございました」と言い、また涙の目の顔になった。ゆっくりと話を聞きわかったことは、お孫さんを病院に連れてゆく途中にもどして吐き道路のあちらこちらを汚したのだと…その時通行人になじられ罵倒されたのだと。そこに妻の貞子が通りがかり布切れや新聞紙を家から持ってきて介抱したのでそのお礼を述べる…その老女の目はまさに「陳思」に与えするものであった。これは右脳や左脳では得られない「物」に託す感動であった。この句はこの時の瞬間のもので老女の目から湧き出す「物」が私のこころをくすぐらなければ、この瞬間の感動はない。即興的な感動は「奇物」によってはじめてなされる。この句は俳誌「篠(すず)」の秀句としてとりあげられている。

 また同じ考えの句には……立冬の男微笑を濃く守る 庸晃…… がある。この感動も「奇物陳思」によるもの。この句は俳誌「草苑」桂信子主宰の秀句でもあった。創刊同人として参加後二年目のことである。