2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

私は俳人福島靖子さんから心を……貰っています

言葉選び…言葉作り…言葉並べ… 児 島 庸 晃 日頃から多くの句を読み、文章を書いているのですが、心に留める俳句が少なくなってきたように思うのは、私も晩年期のこと故なのでしょうか。感覚の鈍さが、日々私の心を苦しめます。そのような時、句の本心を伝え…

心が優しくなれている言葉の成否

俳句言葉が機能出来ているか否か 児 島 庸 晃 人間独特の情感を深く追求してゆくとそこには本来の言葉の成立と関わっていることのようにも私には思えるようになってきていたいまがある。日常の生活を順調に過ごしてゆくには言葉の齟齬が発生しないように気を…

……重く美しい言葉が欲しい……… 

俳句における私性の文体考察 児 島 庸 晃 私の心の奥深くに未だに消えないで残っている言葉がある。昭和四十年代の次のことばであった。 …斉藤正二氏は“俳句不毛の時代”だと叫び、兜太氏は“精進の時代”だという。この二者の間にある思考の相違は現代俳句に於…

その句に純粋性がなければ実感ではない

その一句に共感出来ない時がある 児 島 庸 晃 ずーっと考えていて未だに納得の出来ない事がある。感覚は鋭く新しい感覚なのに、その一句に共感出来ない時がある。どう考えてみても心が動かないのだ。そんなある日のことである。もっと単純な形に詩形を置き換…

神戸新聞読者文芸 詩部門で入選 お知らせ

神戸新聞読者文芸 詩部門で3月の入選になりましたのでお知らせします。 児 島 庸 晃 寒い手 令和6年3月25日朝刊掲載 時々は 頬杖の杖にも している 寒い手を いまも 最晩年期の 要介護4の 妻の手を 転ばぬように 私の手 選者……時里二郎さん選評 妻の介…

俳句における「虚」を「真実」

私を空想の世界へと〜……寺山修司さん 児 島 庸 晃 ところで私には、「虚」を「真実」へと誘引して、私を空想の世界へと遊ばせていただいた俳人がいる。 少年のたてがみそよぐ銀河の橇 寺山修司 寺山さんは多彩な方で俳人というよりも短歌人としての名声が一…

私性句体の本質とは

……その本質実態に迫る…… 児 島 庸 晃 私性の句体は心をからっぽにすることから始まる。からっぽにすることが出来た心で目視を始めること。私がこのことをはじめて知ったのは野木桃花さん(「あすか」主催)の言葉だった。 ・・・つねに純粋な目で物を観たいと思…

良い俳句とは言葉が機能するように工夫すること

俳句の良い作品 良くない作品の基準とは 児 島 庸 晃 よく聞かれる言葉に、良い俳句を作る基準とは何ですか、と唐突に話しかけてくる人がいる。当然のことのように必死で聞いてくるのだが、私としては、一度もこれだと確かな答えをしたことはない。これから…

人間には五感がある……その五感は感覚をつかさどる

現代俳句は感覚で理解する 児 島 庸 晃 思考をどのようにして察知すのかと思うのだが、それは感覚である。人間には五感があるのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。そのうち俳句は視覚の部分が殆んどである。これらの部分より、俳句は感覚で理解するのである…

俳句現代派とは何を意味するのか

俳句表現における話し言葉と書き言葉 児 島 庸 晃 俳句には決まりごとがあって、それを破ることは俳壇から疎外されると言う時期があったことを、いま私は思い出していた。昭和三五年頃のことである。俳句の散文化現象である。この頃は俳句の勃興期であり、ま…

時代を背負った思想が若者にはあった

昭和40年頃の若者俳句……青春俳句集団 児 島 庸 晃 俳句には思想が込められていて、そこには個々人の生き方が存在する。若者はその生き方の良い部分を個人に引き付けて取り入れるもの。かっての俳句結社「青玄」青春俳句が…そうであった。 昭和43年4月28日。…

社会の中で毎日を生きてゆく心の回復……俳句は

現実社会の中で生存意識への生き様を魅せる 児 島 庸 晃 俳句的思考は人生共生の中で如何に生きて行ったのかを見事に実証したのが次の句である。社会生活で疲れ果て、そのことが故に生存意識への生き様を魅せる。 コスモスに青空 帰郷のシャッポ脱ぐ 伊丹三…

人工知能(AI)「一茶くん」に対する私の思い

人間の感性とも思える情感が人工知能で表現できるのか? 児 島 庸 晃 最近の俳壇で話題になり始めたことの一つに人工知能を使って作った俳句作品の良否が、あちらこちらで起こり、いろんなところで話題の中心になり始めているのに驚かされている私である。何…

アイロニーとは…表面の意味とは逆の意味

意味を感じさせないで、その句の根底に意味を置くには 児 島 庸 晃 作者と読者をつなぐものは情感である。意識を強く引っ張る強要になってしまってはならない。それはおしゃべりで意味を強要すことに等しいのだ。意味で句を作ってはならないのである。 では…

心を無色透明にしておかねば何も見えない

俳人のこころとは何なのかと考えていた私 児 島 庸 晃 俳句は無心の心の在りようが作者本人に宿っていなければ、一句の受け入れは出来てはいなかったのではないかと何時も私はこれまで思ってきた。 私自身の心を無色透明にしておかねばならないことは、19…

幻想……虚景……こそ人の心を描く基本

メタバース(三次元の仮想空間)を求め始めた社会人 児 島 庸 晃 メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き…

感覚には理屈はない……人の心にも理屈はない

昭和三五年当時の若者俳句の現実 児 島 庸 晃 俳句表現は理屈にならないこと…理屈で表現しない事である。感覚には理屈はない。人の心にも理屈はない。理屈は人間が考え出した勝手な思考。だから表現された言葉に好き嫌いが起こる。これは表現言葉が純粋でな…

私でしか表現出来ない物を見る心

日常の生活状況の中で私を中心とした視点 児 島 庸 晃 文学作品に作者の個性を際立たせて表現することを私性の文体と言うのだが、俳句にもそれに類する表現スタイルがある。日常の生活状況の中で私を中心とした視点に全てを集約させ物事を捉える感覚作品であ…

私の存在が確認出来なければ

「私自身」の存在を確認しながら人は生きている 児 島 庸 晃 句を作ることの意味や意義は何なんだろう。…ここ数日私は、このなんとも漠然としていて、どうにも訳のわからぬ思考にとりつかれていた。考えても思慮深く思い巡らしても一向に考えが前進しなかっ…

私達の心には…襞(ひだ)…がある

作者の心の艶が具象的に表現されたものが俳句 児 島 庸 晃 心の襞に多くの物がひっかかる。その時の感触を、私達は…感情…と呼んでいるのではないかとも私は思う。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさる。そのことによって初めて生まれ…

その思考は俳人個々の思いを表現と言う形で……

俳句には表言葉と裏言葉がある 児 島 庸 晃 句集「黄砂」拝受。ありがたく感謝の気持ちをこめて読ませて頂きました。一句集にするまでの、纏め上げる苦心、苦労の果てに出来上がったであろう一冊を思うと、私の心も緊張してしまいました。何よりもその一句一…

本物感を強めることは私性に徹すること

俳句は私を表現する総合文芸である 児 島 庸 晃 俳句は三人称、二人称では書かないのです。我々、私達でもなく、あなた、君でもない、常に私もしくは僕なのである。そして起承転結でもなく、導入部、展開部、終結部という五・七・五の俳句的展開の表現である…

一抹の寂しさを感じたとき俳人は……

俳句の三題、それは 愛と 死と 旅と 児 島 庸 晃 見渡すところまでの川の尻尾を探して目に緊張感を感じている時間はほんの数秒であった。川の先端を目で追いながらまだまだ先のほうまでも見ようとして目に緊張感を与えていたのだが、そこで視野から川の水は…

人の心はロマンを生む

人々の胸中には鬱々とした虚しさと寂しさ 児 島 庸 晃 しぐるるや駅に西口東口 安住 敦 人の心はロマンを生む。それは何ゆえにというのがこの句である。この句は昭和二一年の作品。句集『古暦』に収められている。「田園調布」と前書がある。昭和二一年と言…

俳句する心とは何を現実社会に求めるのか

癒しは「ああ」と思う感動の心を持ったとき 児 島 庸 晃 毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶…

それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか

どうして「何故」が『何故』を生むのか 児 島 庸 晃 それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか。どうして「何故」が『何故』を生むのか。、俳人伊丹三樹彦が白寿を前にして亡くなり、伊丹三樹彦が残してくれた文言に改めて深い重さを受け取っているので…

社会感覚や生活感覚のうすい句のなんと多いことか

文化的な創造の遅れはなんとしてでもとりもどさねば 児 島 庸 晃 ・理性が先行すれば感性が鈍る 毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚のうす…

物を思考するのには二つの方法がある

生活の中に反映させる知恵は科学と芸術 そしてそれを理解するには可読スピードいる 児 島 庸 晃 俳句を鑑賞する時にすぐ理解出来るものと、時間のかかるものがある。これらのほとんどは表現方法にあるのではなかろうかと思うことがある。句会の席で句が多数…

川柳にはロマンや思想や生き方があった

川柳人…時実新子さん逝く(2006年7月19日記述) 新子さん訃報その午後しぐれ雪 児島庸晃 こぼれるような笑顔はついに見られなかった。川柳作家時実新子さんの訃報は文壇を吹き抜け、その訃報のもたらす衝撃は川柳にとどまることはなかった。それは川…

よく聞く言葉に…俳句が全く作れないのよ…と言う人がいる

自己を正す俳句言葉の大切さ 児 島 庸 晃 俳句の純粋性が俳句を長く作り続けてゆくことに如何に大切であるかを思わせてくれる。…だが自分自身を俳人の心として保持してゆくことの難しさは、作者本人が一番よく知っている。大変なことことなのだ。 人間に生ま…