心を無色透明にしておかねば何も見えない

         俳人のこころとは何なのかと考えていた私

               児 島 庸 晃 

 俳句は無心の心の在りようが作者本人に宿っていなければ、一句の受け入れは出来てはいなかったのではないかと何時も私はこれまで思ってきた。
 私自身の心を無色透明にしておかねばならないことは、1970年当時の時代性にあった。感情表現をする時、如何に心を無にしていることが、目視に際し大事であるかを当時の事として知る。無心の心でなければ、周辺の物事を目視しても何も感じないのである。心が汚れていれば何も感じなくなる。目視しても何も心には入ってこないのである。私の記憶に強烈に残る一句がある。
   空賊遠く鏡中泳ぐ平和な髪   児島庸晃
私の句集『風のあり』より、1970年頃だったか。よど号ハイジャック事件が起こった。その背景にあったのが魔女重信房子の存在だった。その事件をラジオの臨時ニュースで聞く。その時の句である。この時代は若者の自殺者が多かった。世界同時革命を目論み立ち上がった事件だった。この暗い世の中にあることは私の身辺の事実でも知った。俳誌「渦」の同人だった中谷寛章と喫茶店で話をしている時、重信房子との交流のある中谷寛章の側に公安警察の目が光っていたこと。中谷寛章はこの時私に喋った。「すぐ後ろの席で俺を見続ける男がいるだろう。公安警察や。俺はお前を事件には巻き込みたくはないんや。しばらく会わないでおこう」。この時私は心が汚れとても悲しい思いをした。この事実を私は自分自身の心中を無にすることで耐えた。この時に目視したのが鏡に映った「平和な髪」であった。手の汚れを洗い落し、ふと鏡に映った私自身の頭髪がふぁっと広がり豊かに泳ぐようにそこにはあった。この平和な情景に私の心が救われた思いに安堵した。そして無心になるこころの大切を知る。29歳のときだった。人の心を豊かにするには心が純白であらねばならないのである。また心を空白にしていなければ何も見えてはこないのである。心を無にし無心に徹し物を目視したいものである。俳句の本心は誰もの心を納得させるものでなければならない。