幻想……虚景……こそ人の心を描く基本

       メタバース(三次元の仮想空間)を求め始めた社会人

                児 島 庸 晃

 メタバース(三次元の仮想空間)。この言葉がマスコミで出始めてから世の中は一変した。最初はゲーム機器の開発から始まったのだが、自分の居住空間までメタバース(三次元の仮想空間)に置き換えての思考へと、特に若者をはじめ中年層にまで広がろうとしている昨今である。何故だろうと思う。自分たちの理想とする住みやすい場所を求め、現実では不可能な部分を可能にする場所を心に持ちたいと動き出したのだ。言わば幻想である。虚景である。これは目視では見えていない部分なのである。私にとっては、この思考は俳人伊丹三樹彦の「隠れているものまでも見えるように書く」と言う俳句思考を呼び覚ますことになった。今回は、この微妙に揺れ動く心の理想が、どうしてメタバース(三次元の仮想空間)に繋がったかを書きたいと思う。

 何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていてもすこしも面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会では作者名をわからないようにして出句も選句もしている筈なのだが…。それでも同じ作者なのかとも思うことがあるそうである。結社誌であれば主義主張が似てくることはあり得るが同人誌や仲間誌の中でもそのように思えることがあるのだと。最早これは没個性の俳句になってゆくのではないかと、危惧されるのだが。

 では、この現象は何に起因しているのかと私は戸惑ってしまう。ずーっと以前からの私の考え事のひとつであった。最近になってその要因がすこしばかり解ってきた。どう考えてみてもそこには、芭蕉の教えの中にあるように思えるのだ。

 これまでも私の思考の中にもあったのであるが、再びその思いは強くなってくるばかりである。伊丹三樹彦の思考は芭蕉の教えに通じるものであったのではないのかと思えるようになった。次の俳人森澄雄さんの言葉を知ったときであった。

 俳人は神仏を信じなくてもいいが、「虚」を信じなければ駄目だ。でないと巨きな世界が詠めない。今の俳人は最も大事な「虚」が詠めなくなった。

「虚にゐて実を行ふべし」の名言を芭蕉は残したが、詩の真実としては、「実」よりも「虚」のほうが巨きい。

 芭蕉の多くの句は、空想句つまり「虚」である。子規、虚子の言う写実ではない。しかし、虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出したのだ。 

この森澄雄さんの言葉は角川春樹さんに語った言葉である。森澄雄さんが語った内容は、『詩の真実 俳句実作作法』(角川選書)という対談の中でのもの。一九八七年に出版された対談形式の中での言葉であった。私がここで気づいたことなのだが、「隠れているものまでも見えるように書く」と言うのは、「虚にゐて実を行ふべし」の芭蕉の名言そのものではなかったのかと改めて思った。伊丹三樹彦の句の多くは幻想句で虚景の句である。だがそれらの句は現実離れをしていない。 しっかりと現実の中に立ち、見えていないものまでも現実にした。それは何故なのか。私は私自身に問い詰めた。わかりやすく言えば虚景を現実句にした。次の句を見ていただきたい。

   一の夢 二のゆめ 三の夢にも 沙羅    伊丹三樹彦

この句は明らかに幻想句で虚景である。この句には心の中にこもる強い願いがある。願いをそのまま表現して書くと現実のあるがままの説明である。この虚景は三樹彦の心の中の幻想である。実際は見えてはいないものである。だが実際に見えているように見せる。これは「虚にゐて実を行ふべし」の芭蕉の名言そのもの。俳句現代派としての教えを伊丹三樹彦は、私にも私たちにも残したのである。

同じように幻想句と私が強く評価する句に次の句がある。

   古仏から噴き出す千手 遠くでテロ    伊丹三樹彦

この句こそ、現代の芭蕉である。何も目には見えていないものまで見てしまう虚景の再現。読者は見えているものとして受けとる。私たちは見えているものとして観る。だが、実際にはこのように「噴き出す千手」とは誰も発見はしなかった。虚景である。幻想句である。森澄雄さんの言うところの虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出したのだ。

 見えていないものまでも、隠れているものまでも見えるように書くと言う伊丹三樹彦の趣旨は、芭蕉の俳句世界にまで通じていたと言うことに私は驚きと、その心を再現させようとする思考に、当時の青年男女が集合、研鑽した意味のほどを知った。

 だが何故、伊丹三樹彦はここまで虚景を求めたのであろうか。それは今しきりに叫ばれてきたメタバース(三次元の仮想空間)の世界への夢があったのかもしれない。 勿論、伊丹三樹彦の生存期には、この言葉はなかった。伊丹三樹彦の理想俳句世界を只今の現実ではなく新しい夢のある現実へと引っ張ってゆく、或いは導ける句を求めていたのではと、私は思ったりもする。いまある現実ではなくメタバース(三次元の仮想空間)を作ることではなかったかとも。それが「隠れているものまでも見えるように書く」と言うことだった。幻想・虚景だった。尚、それらをいまの現実にはないものとして、伊丹三樹彦の新しい現実の景色として描くことだった。

   あめんぼのどこへ跳んでも 水の上    伊丹三樹彦

上の句は1982年刊「続・三樹彦句集」からの抽出。この句はメタバース(三次元の仮想空間)の句である。あめんぼの日常生活を作者である伊丹三樹彦の理想の現実に写し置き換えたものである。伊丹三樹彦の目の中には幻想があったものと私には思われる。勿論、目視ではあるが、普通の時の目視ではなかった。「あめんぼの」の自由に跳ねる姿を幻想にまで引き上げての目視なのではなかったのかと私には思われる。その俳句言葉は、「どこへ跳んでも」。そして「水の上」。この「あめんぼの」の自由で楽しい動作は作者、即ち伊丹三樹彦には本来はないもの。心の中での理想を幻想したもののようにも思える。これら一連の動作は作者の心の中での理想である。新しい現実に置き据えての現実だった。 

 いま私は伊丹三樹彦の句を過去へワープしてみて思うのは、俳句の常道を外してまで、俳句を現代に通じるものへ変革しようとする態度に徹しきったことに、私たちは学ばねばならない。その基本が「虚にゐて実を行ふべし」の芭蕉の名言に通じていたことを実感した。そして伊丹三樹彦の生存期には、何の予兆もなかったメタバース(三次元の仮想空間)の分野にまで、その思考を求めていたのではと推察。当時の青年男女が伊丹三樹彦の思考に多数集合した意味の程が理解できる。