現実社会に広がり始めた「パーパス」と言う言葉は何故なのか

        自分の存在理由を明示することは俳句には必要だった

                児 島 庸 晃

 最近になって世の中を賑やかにする言葉がある。その言葉に私は緊張した。パーパス(存在意義)と呼ばれる言葉である。もともとは企業の人々によって生み出された言葉なのだが、大変重要なことである。その企業の存在理由を明示して社員の存在する理由を問うものであった。その社員の価値感として働く意欲を盛りあげるものでもあった。「何のために、我社は存在するのか」という問いの答えが、パーパスなのである。それでは私達文芸人は、このパーパスをどのようにとらえればいいのか、と思考する私の存在があった。何のために俳句を作っているのだろうかであると私は考える。

   それぞれの俳句には…その句を作ろうと思った『何故』

   がある。

上記の言葉は俳句結社「青玄」主宰、伊丹三樹彦が私に語った言葉である。この言葉は私が社会へ飛び出した20代前期の頃である。現実社会の中で、その現実についてゆけず悩んでいた趣旨の句に対しての時の文言であった。私の悩みを悟っていたのであろう。…その苦しみと闘っている心を大切にしなさい。その心を一番に表現しなさい。と。…一つの俳句には『何故』がいると言うものだった。作ろうと思う本心の必死さが緊張感を生むのだと教わったのである。俳句開眼の一歩であった。その時の私の句は次のようなものである。

   しびれだす正座 生きるを思案してる刻   児島庸晃

   枯木に対面 考えていて歩いていて     児島庸晃

   つめたい鍵穴 都会の目つきはよしたのに  児島庸晃

   作ってはつぶす 机上の小さな革命旗    児島庸晃

正に私の主張ということであろうか。このことが自己主張の大切さだとわかったのはこのときであった。

 事実、伊丹三樹彦も俳壇と闘っていた。現代語導入、旧かなから新かなへ、無季容認、口語容認、分かち書き、と俳句のタブーとされてきた限界へ挑戦していたのである。このとき伝統俳句人へ向かっての必死な根性を示したのであった。それが俳句を作るに際しては『何故』がいると言うものだった。 

   正視され しかも赤シャツで老いてやる  伊丹三樹彦 

痛烈な根性でもって挑んだ句であった。だが、私には,この句に含まれている心には、もっと大切にしなければならない三樹彦の文言が込めれているようにも思える。三樹彦が亡くなったいまだから言える遺言のようなものを感じる。それは「それぞれの俳句には…その句を作ろうと思った『何故』がある」である。俳句にはその句を作ろうと思った動機があり、その心の「何故」が『何故』を生んでゆく面白さとその必然があるのである。

 それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか。どうして「何故」が『何故』を生むのか。三樹彦が白寿を前にして亡くなり、伊丹三樹彦が残してくれた文言に改めて深い重さを受け取っているのである。そこで今回は俳句における『何故』を考察検証しようと思った。本来の「何故」は物事に対して疑問を感じたときに思う謎ときの言葉なのである。そしてもうひとつの『何故』はその疑問が解けたとき納得できたときの回答のことばなのである。17音律の一句の中には常に「何故」と『何故』を表現する二つの俳句言葉が存在する。この「何故」にはパーパス(存在意義)があるのだ。ここには作者の存在する理由があった。この理由そのものの存在にこそ俳人としての価値観がある。

   杭打って 一存在の谺呼ぶ   伊丹三樹彦 

この句は青玄合同句集12(2005年11刊)に収録されているのだが、この句「一存在」はパーパス(存在意義)である。このパーパス(存在意義)を問題意識にして一句を成していた俳人は当時何人いたのであろうか。三樹彦を批判した多くの、かっての著名な俳人たちは、今も信頼されているのだろうか。そこにあるのは作ることの自由を奪われていた若者ばかりの存在ではなかったのかと、私は思う。当時の若者に句を作る意義を「何故」と問い詰め、その答えを『何故』と求める俳人は、三樹彦のほかはいなかったのではないかと、言うのが私の結論であった。