俳句は……感性詩語である

             ●俳句は言葉選び…発想

             ●俳句は言葉作り…構成

             ●俳句は言葉並べ…アレンジ

      上記の三つの思考が私の俳句に関するメモリアルである。

                児 島 庸 晃

  • 俳句は言葉選び…

 俳句は言葉遊びであることを、主張したのは坪内稔典であったが、まだ彼が「青玄」にいた頃から私とはよく討論をした。当時、「青玄」発行所近くの文化住宅の二階に「青玄クラブ」があり、ここで夜を徹し激論をすることがあった。そのときの一つが「俳句は言葉遊びである」論であったのだ。ここには山内進(のちに「草苑」に同人参加し侘助と改名)や坂口芙民子(のちに「日時計」発行人)ともども激論になること幾度かあった。その時の私の感触は、彼の言葉としては、少々説明不足があったのではないかと今でも思う。本当の意味は言葉選びではなかったかとも思う。言葉選びをする時に自由な心で、物事に拘らない遊ぶような感覚で言葉を選ぶというのが彼の言葉ではなかったかとも思う。

 そのときの思い出がよみがえってくるのだが、俳句は言葉遊びではなく、言葉選びである、と私は思う。言葉遊びには自由がありすぎて、各人のすべての思いの人には受け入れられないのではないか。ここには好き嫌いが生じて句の感覚においては面白くはなるが、感覚的に受け入れられない現象が起る。

 そのような中でなんでもないと思われる言葉選びのなかにも工夫の、或いは苦心を思わせる言葉に出会うことがある。日常の日々の生活を注意深く観察していると見えてくることがあり、吃驚してしまうような感覚が目覚めることがある。

   鬼は外福は内普通のことです   田中いすず

   雪降るや昨日の猫は今日も猫   田中いすず

   人に顔そのあたりから日が延びる 田中いすず

俳誌「歯車」三五一号より抜粋。一句目の句は、とりたてて新鮮な言葉もなく、奇抜さもない。だが、この句の占める心の幅は広く大きいのだ。一見、言葉遊びのように思えるが、よく、じっくりと見て頂きたい。「普通のことです」とはなかなか言えない。物事を疑うこともなく素直な心で日常を素直に行動する一人の人間がいるのだ。ここには純粋になりきれている私の存在が浮かび上がる。そして、何よりも「私」を言葉のなかで遊ばせているではないか。心の尽きるまで「私」を楽しんでいることがわかる。自由に物事に拘らないで楽しみながら言葉を思考する。これこそ、本物の言葉選びである。二句目も、三句目も同じ。二句目は「猫」を三句目は「日」を遊ばせている。本来の俳句は遊び心での言葉選びであろうと思う。けっして俳句を遊んで言葉を思考しているのではないのだ。

 言葉選びと言えばどうしても前衛俳句と呼ばれる頃の俳人の作品を考えてみなければならなくなるのだが当時はそれぞれの作品に対する言葉感覚が最も敏感な時であった。

   兵舎の黒人バナナ争う春の午後  島津 亮

島津亮句集昭和三十五年出版の『記録』より。この句集の中でこの句を見た時、私は内心ほっとしたと言うのが実感である。それほどに当時、言葉感覚に敏感な句であったのだ。それはこの句集のほとんどが…作者と読者の従来からの通念認識である感性的理解や感情移入を無視した句で満たされていたからであり、当時のほとんどの句が感性的理解の句ではなかったのだ。この「兵舎の…」はこれらとは全く内容を異とするもであった。当時、前衛と呼ばれる多くが意味俳句と言うもので、意味に重点をおいて言葉選びをしていたのではないか。…そのように私は思ってきた。古来からの読者はイメージより発想、感ずるものを言葉に置き換え、言葉選びをしてきていたのである。この句、戦後の物資のない混乱期、庶民には程遠いバナナ。黒人兵が自由にもてあまし遊ぶイメージを春陽のなかに心す句である。感情移入や感性的理解を得られなければ句にならないことを島津亮は心得ていたのかもしれない。言葉選びはイメージより始まり、意味から求めるもではないことと知った私の俳句初心時代を思い出していた。

   遺品あり岩波文庫阿部一族」 鈴木六林男

   右の眼に左翼左の眼に右翼   鈴木六林男 

平成十六年に死去の六林男も、島津亮と同じ関西人である。そして戦後の混乱期を生き抜いた俳人であるが、意味を俳句で論じる人であったと、私は思っている。当時、私が「渦」の同人であった頃、「渦」誌上で私の俳句作品に「説明が作品の中に多すぎる」との言葉を頂いたことがあった。いま思うに、そのことの内容が、やっと何十年も過ぎてわかってきたように思う。それは言葉選びをする時に意味で言葉を思考していたのではないか。…そんなふうに思える私になっていた。六林男も私も同じ意味で俳句を書いても、六林男は意味で論じる人、私は意味を考える人。この方法の違いは大きい。「遺品あり…」の句には横への連帯性があり、当時、最も読まれた「岩波文庫」の数々がイメージされていてのこと。また、「右の眼に…」の句も「右翼」「左翼」のどちらも人々の間によく知られたイメージが連帯されていて広がりを持たせているのだ。六林男の思考する、説明的に思える言葉は、そのことの意味を論じるために、すでに承知のイメージを強めるための言葉選びであったのだろうと思う。

 このように言葉選びはその俳句作品の半分以上を占める重要なポイントを担っていることが、私の指摘内容から、すこしでもわかって頂けたのではないかと思う。新鮮な言葉。斬新な言葉。未使用の言葉の発見。思いもよらない吃驚言葉。…そんなものなどいくら探しても出てくることはない。物を見るときの心が純粋に磨かれていてこそ見るものがあたらしく思えるもの。俗世間の流れに漂い既成の心のままでは、言葉選びなどは出来ないのだ。あくまでも言葉選びの斬新さは俳人個人にある。物を見るとき、相手となる対象物からは何も飛び込んでは来ない。何時間も対象物を見ていても私の方へはすり寄っては来ない。そのときの私の無垢の心のなかにこそある。言葉選びは、ほんの一瞬、ふっと、こうではなかろうかと思う感覚であるように思った。

  • 俳句は言葉作り…

 俳句を読んでいて、この作品のどこに良さがあるのだろうかと考え込んでしまうことがある。何ほどの思いあたる部分もないのに、多くの人が良いという。しかし、私にはその良さが理解できないときがある。何故?、私はこのように思うこと、過去ではあるがたびたびあった。

   滝の上に水現れて落ちにけり    後藤夜半

   朝顔の双葉のどこか濡れている   高野素十

この二句の違いにはあきらかに、句を見ている私の眺めてる位置が相違しているのだが、わかるだろうか。一見、同じに思えるのだが、違う。小説に一人称表現、二人称表現、三人称表現、とあるように、俳句表現にも、この表現方法があるのだと、当時思った。後藤夜半と高野素十の作品を見ていて、このような表現の仕方があることを知った二十代初期を思い出していた。「滝の上に…」の句は一人称表現。「朝顔の…」の句は三人称表現である。何処が違うのか。何故、と問い詰めたくなるが、物事を、より主観的に見る表現と、より客観的に詰める、相違なのである。その言葉は「水現れて…」と「どこか濡れている」の違いにある。夜半は水の動きの躍動感を強めるために夜半自身が水になりきったかの心をもって、水の中に私自身を置いているのである…これは一人称の表現。一方、素十は「どこか濡れている」と一歩も二歩も対象物から離れ、「濡れている」のではなかろうかと朝顔の生きているであろう生命感を想像の世界に託し幅を広げようとしている…これは三人称の表現。人それぞれ私たちの生活経験や生活態度によって、俳句に対して向かう心のありようが、こうも相違していることを私たちは知らねばならない。

 一人称表現、三人称表現と言うのは言葉で簡単に割り切れるような作品ばかりではないのだ。端的に私情をこめた感情的表現をすれば一人称、客観的表現をすれば三人称と言うわけではないのが次の二句である。この二句には俳句の構成と言う微妙な心が籠っている。このことが俳句を良くもし、また、駄句にもしてしまう。

   伸びる肉ちぢまる肉や稼ぐ裸   中村草田男

   母すでに蓮の浮葉の寝嵩かな   鷹羽 狩行

先ず、この二句の一人称、三人称だが、「伸びる…」の方が三人称、「母すでに…」が一人称である。「伸びる肉」は観念語で作者の感覚ではない。「蓮の浮葉の寝嵩かな」は作者の比喩に託した心象語。ここで私が思うことだが、俳句の言葉を作るときに大切なことは、コンセプトが三ついること。言葉が三つなければ俳句にならないのだ。そのうちの二つは比較言葉で、残りの一つは展開言葉。この「伸びる肉…」の句は「ちぢまる肉」言葉との比較言葉で「稼ぐ裸」へと展開。だが、作者は「稼ぐ裸」で意味言葉としての主観を籠めているので一人称のように思われるが、ここではあくまでも主観にはなりきれていないで、観念語なのである。よって三人称なのではないかと思う。もうすこし作者独特の感覚が欲しいのではと思う。この句は一人称にすべき扱いのように、私は思った。「母すでに…」の句の「母」と「蓮の浮葉」の連帯比較により「寝嵩」への展開は、比喩としての主観がしっかりしていて一人称表現に相応しい構成がなされた句であるように思われる。

 このように俳句の言葉作りは言葉の作りようによって、読者の心を、どのようにつかみきるかの工夫がいるのではないかとも思う。そのときに作者の立っている位置が大切になってくるようになる。ここで作者の感覚を示唆することになるのだが、一人称、三人称と方向性が、その俳人の詩性につながって、良い句、良くない句の区別に至るように思えるようになった。…この考え方が俳句の言葉作りなのかもしれない。

  • 俳句は言葉並べ…

 俳句にはその作品に相応しいリズムがあり、その韻律なしには心への響きは伝わりにくいのだろうと、私が思っている時、平畑静塔の次の言葉が私を刺激したことがあった。もう五〇年以上も昔のことである。昭和三六年二月発行の総合誌「俳句」誌上での文章であった。

 …俳句は小なりといえども詩である。詩であれば、我々は活字になった俳句を見つつも、常に心の耳はこれをよんで、その俳句のメロディをきいている。俳句は小説程には、音楽の状態に憧れるということはないかも知れない。しかしその俳句が内にリズムの名に値する感情をひめていなければ、いくら心耳がその活字をよんでも、その俳句の面白さは感じる訳にはゆかぬ。(原文のまま)

 この文章は「リズム考」と題する言葉の一部であるが、詩と呼べるものには、内在するリズムがあるのではないかという提案であった。把握したイメージの感情を、より伝わりやすくしようというもの。句を読みながら情感をリズムに乗せて、心へと受け渡そうとするものだった。意味ではなく情感としての詩の雰囲気を取り入れようとするもの。即ち、外面ではなく内面に刻まれるリズムをイメージより引き出すものであったのだ。当時、私には充分に理解出来るものではなかった。俳句には五・七・五という定型があるのに何故。全くわからない日々が続いた。その後、しばらくして、この基本定型ではない句が現れ、事の意味が徐々に解ってくる。最高二十一音もの俳句が王道を歩み始めて、そのことの重大性が理解出来るようになっていた。

 このころ二十一音もの句は何処に切れがあるのか、全くわからなくなっていた。そして意味で切れるのか、リズムで切れるのかが大きな問題となっていた。私はこの問題で混乱の坩堝の中にいた。…この時である。「青玄」では、既にこの問題に対して昭和三十四年に或る提案がされていたことで、私は解決の道へと進むことが出来たのである。

それはワカチガキであった。昭和三十四年、句会での合評討論が、その一句だけの句会になってしまったことがあった。その句と言うのは…。

   磨滅した空抽斗に夕焼け溜め  河谷章夫

この句〈空〉と読むのか〈空抽斗〉と読むのか。リズムで定型通りに読むと〈空抽斗〉である。しかし作者の意味とは違っていた。〈空〉は「磨滅した」に接続、「磨滅した空」であった。音節のリズムと意味のリズムは一致してはいなかったのだ。そこで伊丹三樹彦は、〈空〉と〈抽斗〉の間を一字あけるワカチガキを提案したのであった。このようにしてワカチガキが発生したのである。現代語で句を書いてゆくと切れ字に名詞の使用が多くなり、それぞれの名詞が重なって複合語を作り、意味が不明瞭になるのである。意味上のリズムに五・七・五の音節リズムを乗せることが困難になってきた現代語の内在律の流れを考えるとき、平畑静塔の言う、リズムと感情の一致がなければ…とのアレンジは言葉の並べ方に依存するのではないか、このように俳句の音節リズムは意味を情感にまで高めるのにいろんな工夫をしていたのだった。

 私の俳句の言葉は…短詩形ならでのもの、感性詩語である。言葉選び、言葉作り、言葉並べ、どれもが句の中に満たさなければ満足の詩語にはならないかもしれないが、これらは理想の形であり、あくまでも思考の途中である。ゆっくり思考を進めたいものである。