私のささやかなメモリアル

       五人ほど居眠るための初夏の椅子 児島庸晃

          (2006年5月15日記述)

 河川敷……ここはまるで時間が止まっているのかと思える時がある。この武庫川のほとりを歩いていると、なんとこんなにも自由がばら撒かれているのかと思う。人それぞれに思い思いのことがなされているのには全く現実臭さが無い。 日常の生活の嫌な匂いなども無いのだ。生活の中に細かく刻まれたメニューなど忘れていた。そして限りない人間の優しさや美しさにも会えた。

 自然の中に回帰してゆけば人は悪意を感じなくなるのかもしれない。…そんなことを思いつつ河川敷を北より南へ下っていた。

 長椅子は初夏の真ん中にゆったりと置かれていた。散歩の途中の一休みにと腰を下ろしたのであろう。何時しか居眠るほどの心の安心を得て…。

私の瞳に映ったものこそ癒しへの序奏であったのだ。この癒しを何回も味わいため。 このささやかな幸福を持続させるため河川敷を歩く。