フレーズ俳句の創始者…俳人諧(かのう)弘子

   河川敷のふたり寡黙な愛の秋 児島庸晃 (2018年11月10日記述)

  武庫川は秋のまっさかりである。土曜・日曜日になると家族総出でこの河川敷に市民は集まってくる。バーべキューの匂いと家族の歓声がいっぱいに広がり、正に休日天国をつくっている。そこらあたに秋の草花が咲き誇り私の心も和む…そんな一日の人々の暮らしの中に詩は探さなくともいっぱいある。私は毎日の生活の臭みがまだ完全になくなってはいなかった。純粋に物を見つめようとしていたにも関わらず、まだ抜けてはいなかった。ふとそこに見たものにこだわっていたのだ。何故か寡黙なふたりが何時間も座り続けている光景。河川敷の一隅にもう心がつながっていないかもしれないふたり。私はゆっくりと目をつぶった。そして一俳人の俳句を思い出していた。

    このまま眠れば多摩川心中犬ふぐり   諧弘子

 諧(かのう)弘子。現在「野の会」にいる俳人。20代の頃の作品である。この句に接したときは俳句のもつ幅の広さと心の深さをしみじみと思った。なんという感動を呉れる句なのかと思った。これが俳句なのか。やっぱり俳句なんだよ、と自分に言い返していた。これはフレーズ俳句なのだ。第一句集「牧神」1998年刊行。楠本憲吉の愛弟子である。寝転んでいるふたりを見ていて、「このまま眠れば」と発想して「多摩川心中」へ展開する心の葛藤は弘子の詩質である。新劇志望の心をもつ詩人でもある。そしてこの愛の相手は鈴木明。「野の会」主宰である。やがて結婚するがその後離婚。発表は「青玄」であったが伊丹三樹彦もびっくりするほどの新鮮な句で初出句初巻頭の栄誉であった。「弘子はいいね」と詩人村野四郎が憲吉に特別な賞賛を当ていたのを思い出す。この頃「青玄」には40人余りもの20代俳人がいて激しい作品バトルで必死であった。そんな中にあって弘子の存在は俳壇を啓蒙していた。当時私は俳句とは思わず一行詩の感覚で受けとっていた。そのなかでも俳句に近いものとしてこの「犬ふぐり」に感動を覚えている。「すかんぽ噛む飛鳥乙女の髪で逢い」「春風刈りに夫も大きいてのひら下げ」「苺ゆっくり潰しゆっくり涙出る」神経の繊細な句を発表してはいるがかなり大柄で180センチ近くあり、私は弘子と出会ったとき目を疑った。でも仕草には詩人の心を感じ、やはり奥多摩清瀬病院での結核を患った過去が詩の心を深めていたのかも知れないとも思える。青春俳句の思いの尽きないころの作品である。

                      (2018年11月10日記述)