私達の心には…襞(ひだ)…がある

         作者の心の艶が具象的に表現されたものが俳句

              児 島 庸 晃

 心の襞に多くの物がひっかかる。その時の感触を、私達は…感情…と呼んでいるのではないかとも私は思う。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさる。そのことによって初めて生まれる感情…それが文芸である。あらゆる文芸の中で最も強く端的に表に出てくるのが短詩系である。その短詩系の中において緊張感を伴うのが俳句である。この5・7・5の定型では無駄な言葉は許されない。ここには臨場感や緊迫感がこめられていなければ読者の心を呼び込むことは出来ないのだ。心の襞に物事が触れた瞬間の新鮮な感動。それが俳句の最も大切な瞬間なのである。多くの俳人は物事に感動する心を忘れている。

    感動するって…どんなことなのか? 日々の生活や日常の出来事にどれだけの感動を覚えることがあるのだろうか。考えてみれば殆ど感動を知らない日々を過ごしている私になっていた。そこで物事に感動することの本質が俳句には大切であることを、今回検証したいと思う。 

    山口誓子は「俳句・その作り方」において書いている。「感動が先立たねばならぬ。感動は『ああ』という叫びである。事物と出会って、思わず『ああ』と叫ぶその叫びから、俳句は生まれる。俳句の感動は事物の上にではなく、事物と事物との結合の上に成立する」。ここには『感動』がなければいくら上手い結合がなされていても、それは報告にすぎない。『寄物』の心がなされていても『感動』の心が伝わらなければ俳句作品にはならない。それゆえに『寄物陳思』を誓子は諭している。私達は日々の多忙に追い回されて、物事に接し、物事を心に取り入れていても殆ど感動すと言う心にはなっていないのが現状ではないかとも私は思っている。よく俳句が作れない、と言う言葉を聞く。それは物事に感動することが出来なくなっている事を作者自身が心得ていないからだろうと私には思える。感動する心の全てを、どのようにして心に得るのであろうか。無感動では俳句は作れない。

      藁塚に一つの強き棒さされ    平原静塔

    総合俳句誌「俳壇」2005年8月号、時代をとらえた俳句表現特集より。作者は和歌山県出身の精神科医。その評論の中で「俳人格」を述べた俳人でもある。この句、作者は何に感動したのであろうか。実にその感動は単純である。「強き棒」の俳句言葉である。作者の心の状態が素直である。この素直な状態を成していられるのは、作者自身が純粋であるから…。この純粋になりきれているからこそ物事がよく見える。俳句の中に強く「人間性」をこめての心の在りようが「強き棒」の言葉を生んだのである。作者が評論の中でのべている「俳人格」なのである。戦後の混乱期のとき、必死に純粋になりきろうと敢て生きてゆく心が物事に感動する心を作ったのであろうと私は思った。敢て言う。感動の心を支え、その感動を得るのは、作者自身がどれだけ純粋になりきれて物を見尽くすことが出来ているかであろう。物事に感動する心を持つのには作者自身が純粋になりきれていなければならない。

      初蝶の貌くもらせてなるものか  中原道夫

  総合誌「俳句」2005年6月号より。作者は「銀花」の主宰者。グラフィックデザイナーでもある。この句を見ていて私は、この句のポイントが、感動すると言う、何気ない心に動かされていた。目視の発端は「初蝶」なのだが、ただそれだけに終わらなかったのだ。ここには作者が自分自身を見つめている心の姿があった。「貌くもらせてなるものか」の俳句言葉は作者は自分自身への問い詰めであるのではないのかと私は思った。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさる。そのことによって初めて生まれる感情…それが文芸である。ここには感動することの原点があったのだ。おそらくだが生まれたての「初蝶」には、まだ自然界とは馴染めない弱弱しい姿で必死に生きている、或いは生きて行こうとする動きの真っ最中であったのであろう。そのとき作者自身に純粋さがなければ、「初蝶」の必死にもがく姿など目には飛び込んではきていないだろう。…そのように私には思える。敢て言う。感動の心が動かされる、或いは動かざるえないのは心が純粋になりきれている時だけなのである。

    私達は日々の多忙な雑事の中で、社会人としての生活の中で毎日をあらゆる出来事と必死に格闘している。そして自分自身を見失っている。その毎日の中で心が枯渇して、心の大切さを忘れ失っているのではないだろうか。私自身も現実社会を正面にしてくねくねと身を交わしては生きて来た。結果多くの人間性を失ってきた。いま私が文芸を維持保持してゆこうとするのはより多くの感動の毎日を得たいからである。そして本来の人間を取り戻したいからである。次の句を見ていただきた。

      にんげんに生まれしことを花に告ぐ  和田悟朗

 句集「人間律」平成17年8月ふらんす堂より。この句には「花」に、そこに咲いているいま目の前の在る「花」にまで、正に人間と同じやさしさの心をこめて、その場に留まる作者の姿が私にはたまらなく好きである。この私の感動する姿は私だけではないだろうと思う。この優しさは、「花」にも伝わり、充分にわかって貰えたのだろうと思う。この真実の心の優しさは普段からの作者の心に大切に保持されていたものだと私は思った。日々の生活の中において感動することの大切さを私は教わった。だが、日頃から物に感動する心を持ち続けることは、なかなか出来ないのだ。自分自身を純粋にしておくことの心は出来ないのだ。感動出来る時は作者自身が純粋でなければ出来ないことなのである。俳句を作ることは、物に感動することから始めよう。無感動では俳句は作れない。目視で得られた心への取入れは、その感動した心の具象的な表現がポイントになるからである。ただ単に事物と事物の結び付きでは、読者は受け入れて貰えないだろう。その部分には具象的な感動表現がなければならないように私には思える。

    だが、日頃から何時も事物に感動する心は、そう簡単には出来ない。目視したその瞬間にだけ、感動すると言う事などは、どの俳人にだって、これまで可能にはなされてはいないのである。

      当分は上見て歩く 花日和   伊丹三樹彦

句集「当為」平成28年、第26句集より。作者満96歳の心の句集である。作者満96歳のいまあるべき姿がプラス思考の詩心により語られているのが、この句である。何がプラス思考なのかと言えば、物事に何時でも感動出来る心を持ち続けて生きている事。その俳句言葉は「上見て歩く」。ここには作者の生きている、或いは生きて行く心の在りようがプラス思考で満たされている。ここでは生きている、又はこれまで生きて来られた事の感動が一杯ある。多分だが作者の目視の中には「上見て歩く」の動作より…青空…を見ていたのだろうと私には思える。容易にはこの…青空…を見ていても「上見て歩く」とは言えないだろう。満96歳の心には受け入れ難いものなのだろうと私には思える。日頃から純粋の心を保持して生きて来たことが私には理解出来た。事物を目視していても作者自身が純粋になれていなければそう簡単には感動は出来ないもの。心を真っ白にしているからこそ事物に感動出来たのである。

    何でもない光景から、その目視から、感情の発露をキラキラとした感情へ、その感情が感動へと作者の心を変革させたのが次の句である。

      このまま眠れば多摩川心中犬ふぐり 諧 弘子

第一句集「牧神」1998年刊より。諧(かのう)弘子。20代の頃の作品である。この句は作者も感動しての心だったのだろうが、私は…なんという感動を呉れる句なのかと思った。俳句の発端は感動から始まるのだが、このことは読者の共感を得なければ作者の感動へとは繋がらない。作者が純粋になれていなければ感動も湧かないのだが、読者も純粋になれていなければ作者の感動を受けとることなどは到底出来っこないことを、この句は私に教えて貰った句でもあったのだ。この句の感動の原点は何であったのだろう。作者の目視の中に目覚めてある俳句言葉「このまま眠れば」の実感。この俳句言葉は、心の襞にひっかかる。ふあっと心にある不安感は誰にでもある。この句の場面の二人には心中という最終の思考しかないところまで行っているのだろう。それが「多摩川心中」の俳句言葉なのである。

    事物に感動することの原点を求めて、いろいろと事例をさぐっての検証を試みた。多くの目視は、その時の心の襞にひっかかり心を刺激はするのだが、作者自身感動の心にならなければただの事物の報告になってしまうことを検証した。俳句の始まりは「ああ」と言う作者の心である。そしてそれは純粋の心になれていなければ、「ああ」と受け止める心にはなれない。またそれを受け取る読者も純粋の心になれていなければ、作者の気持ちへとは繋がらない事を事例で示した。事物を目視したその時の瞬間のその感動が俳句なのである。その心の艶の具象化、即ち事物と向き合った感動は純粋な心でなければ、「ああ」と言う、その心は生まれない事を私は多くの句に触れることにより知ることが出来た。