人間には五感がある……その五感は感覚をつかさどる

            現代俳句は感覚で理解する

               児 島 庸 晃

 思考をどのようにして察知すのかと思うのだが、それは感覚である。人間には五感があるのだ。視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚。そのうち俳句は視覚の部分が殆んどである。これらの部分より、俳句は感覚で理解するのである。
   青空に茫々と茫々とわが枯木    金子兜太
『現代俳句年鑑』二〇一七年版より。この句の俳句言葉の素晴らしさは「茫々と」。しかも二回使ってのリフレインである。日常でありながら、作者は日常の風景としては受け取ってはいない。日常の風景を作者自身の心象風景として感受。つまり、俳句言葉としての「茫々と」なのである。そこにはぼんやりとしてはっきりすっきり見えてはいない現実の景色なのだが、俳句言葉となると「茫々と」なのだ。このように感受することが俳句言葉なのである。ここには作者ならではの感覚があり、この身に迫ってくる厳しい寂しさは、どうにも出来ない緊張感を広げている。緊張感は俳句言葉の感受の強さの有り無しに、その全てがあり、表現されてはいない部分にまで呼び起こされてくる。見えてはいない部分まで見ているように使用される言葉が俳句言葉なのである。見えている部分は日常で、これをそのままの言葉で表現しても、これは意味で理解する日常使用言葉に過ぎない理屈の現実である。つまり作者は目視時の感覚で捉え感覚で理解しているのである。