俳句現代派とは何を意味するのか

            俳句表現における話し言葉と書き言葉

                 児 島 庸 晃

 俳句には決まりごとがあって、それを破ることは俳壇から疎外されると言う時期があったことを、いま私は思い出していた。昭和三五年頃のことである。俳句の散文化現象である。この頃は俳句の勃興期であり、また乱立の時期でもあった。有季・無季。超季・自由律・多行形式(三行書き)とその表現においても乱立の時期である。この頃俳句を日常の感覚、感情で受け取りその緊張感をそのまま俳句の中へ導入しようと立ち上がる俳人がいた。俳句を日常の話し言葉として捉えその緊張感の重さをもって一句としたのである。当時この俳句手法は散文の一部のように思われ歓迎されなかった。だが当時の若者には、この感情の緊張感は受け入れられる。若者には俳句の良さが浸透されてゆく。このように俳句が現代化されてゆく。自らを俳句現代派と称した。この現象は関西俳壇からであった。その存在を強烈にアピールする俳人がいた。伊丹三樹彦である。

   ひとりぼっちの泊灯ね 寒いわ お父さん 伊丹三樹彦

この句は昭和三五年頃の作品である。そして日常語を使っての句である。まさしく日常そのものである。話し言葉を使っての句である。この当時は俳句の散文的表現と言う最も嫌われた時期。当時私は高校卒業後一年ほど経た時期である。正岡子規の伝統俳句の全盛期であった。この頃は私的な感情は、そのもの全てが散文と思われての当時、私性の文体(句体)は頑として許されていなかった。何故なのか。全て私性の文体は説明言葉と思われていた。所謂、文章の一部分と思われていた。この時の俳句は書き言葉でなければとの一般通念があった。話し言葉は、感情のままの発語と思われていて、話し言葉は認められてはいなかったのである。

 因みに書き言葉と話し言葉はどのような相違があるのだろうか。思いつくままに書くと、次のような違いがある。

  「から」は話し言葉

  「より」は書き言葉。

  「します」は話し言葉

  「する」は書き言葉。

このように明らかに情緒の相違はある。このように話し言葉の方が書き言葉の方よりも情緒の緊張感はある。客観的な表現の情緒は鎮静する。客観写生と言う伝統俳句の基本は現代社会人には好まれてはいなかったのかもしれない。この頃、当時の若者が話し言葉の表現に魅かれていったのかもしれない。この若者の気持ちはよく解る。

 ただ、話し言葉には問題点もあった。一行縦の棒書きの形では感情が流されてしまう。言葉一つ一つの区切りが、切れなくて解りにくい。そのための工夫があったのだ。これを見事に解消して分かり易くしたのであった。これが分かち書きであった。このことを俳壇に向かって発表したのが伊丹三樹彦である。分かち書きがあるから出来る表現であった。その一字空けはただ単に区切られるのではなく、意味の区切りと言う、5・7・5と言う単純な区切りではなかった。例えば上句の5・7と跨りのリズムのとき、意味での区別と言う、一字空きとしての分ち書き。そして感情や情緒の句切りによっても、その句の散文化を防ぐものであったのだ。

 その句とは…

   摩滅した空抽斗に夕焼け溜め  河谷章夫

昭和三五年のことである。この句の解釈を巡って、この句の為にだけ実に一時間以上も要した句会になった。「青玄」発行所句会だった。「空抽斗」はそのまま「空」を「そら」と読み上から読み「摩滅した空」と解釈するか、「空」を「から」と読み「からひきだし」として読みとるか、である。上句相当する部分をを五・七とリズムで区切ると「空」は中句の「抽斗」と結合。「空抽斗」になる。作者の意志は「摩滅した空」であった。言葉は二つ以上重なると複合語を作る。この時、三樹彦の発言があり一字空けが生まれてそれを分ち書きとして定着したのである。この時に添削された句が次のようになった。

   摩滅した空 抽斗に夕焼け溜め 河谷章夫     

添削された句は、空 抽斗 と一字空けとなっている。これを分ち書きと言う。意味が正しく解釈されている。

   子へ出す絵葉書 雲海とび歩いたよ こんな   伊丹三樹彦 

この句は昭和四十七年の作品。口語で、しかも話し言葉で一句を表現すると言う事を成したもの。このことはこの当時、誰もしなかった。誰も出来なかった。それを実行すると俳壇から疎外されてしまうと言う現実があった。その頃、俳誌「青玄」はこれらの攻撃にもびくともしない態度であった。その主宰俳人が伊丹三樹彦であったのだ。

 この思考は三樹彦の「青玄前記」

     現代の感情は現代の文体を欲する俳句も 亦

…によるものであった。

 いま改めてこの俳句現代派としてのその後の発展を思うにあたり大変な苦難の道を経て、いまがある事の系譜の重さを思う。もう一度この心を再考したくこの稿を書いた。