2024-03-01から1ヶ月間の記事一覧

いまこそ文芸は心を正す時

……それはメタバース(三次元の仮想空間)を考える 児 島 庸 晃 いま現実社会は何を信じ、何を頼りに生きてゆけばいいのか。社会そのものが混沌、汚れきって真面目に生きるに辛い毎日。政治の中心にいる人たちですら、国民を騙す時代。私の心が壊れないことを…

小説部門入選作品……神戸新聞読者文芸

予 想 屋 … 哲 ち ゃ ん (2017年12月4日朝刊掲載) 児 島 庸 晃 哲ちゃんの目から一粒二粒と大粒の涙が落ちる。落とすまいと顔をあげて哲ちゃんは涙を堪えた。 春の青空は何処までも澄みきっている。天を仰いでいた哲ちゃんは俯いてしまったのだ。俯…

ヌーベルバーグ時代の俳句(再掲載)

俳句を詠むに意味で読まないこと 児 島 庸 晃 目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは頭で判断していると思われているのだろうか。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の表…

私のささやかなメモリアル

五人ほど居眠るための初夏の椅子 児島庸晃 (2006年5月15日記述) 河川敷……ここはまるで時間が止まっているのかと思える時がある。この武庫川のほとりを歩いていると、なんとこんなにも自由がばら撒かれているのかと思う。人それぞれに思い思いのこと…

現実社会に広がり始めた「パーパス」と言う言葉は何故なのか

自分の存在理由を明示することは俳句には必要だった 児 島 庸 晃 最近になって世の中を賑やかにする言葉がある。その言葉に私は緊張した。パーパス(存在意義)と呼ばれる言葉である。もともとは企業の人々によって生み出された言葉なのだが、大変重要なこと…

私が何回も鬱を棄てに来た神戸・北野町

青春期の思い出の中に登場 文体改革のパイオニア…俳人坂口芙民子 児 島 庸 晃 春霧のときすぎ海の見えてくる 庸晃 春林は坂の上にて真昼なる 庸晃 神戸は坂の街である。元町より下山手通り、中山手通り、山本通りを斜めに横切るとこのあたりより坂の道に出る…

小説…神戸新聞読者文芸入選作品

河川敷の哲ちゃん 児島照夫(庸晃) (2004年3月8日朝刊掲載) 冷たい雨の日だった。「お願いだから死なせてくれ」。私の手を掴み必死に懇願する男。名前は哲ちゃんと言う。足首にくくりつけるコンクリートブロックを抱え水の深みに入ろうとしたしてい…

俳句の感情表現を考える

俳 人 …… 永 井 陽 子 児 島 庸 晃 実生活の日々、物事が強く細かく見えている時はほとんどない。普段の日常生活の慣らされた習慣の中で物事をよく見届けるのは、よほど心の中を純白していなけば見えてはこないし、物事が心には飛び込んではこないもの。俳句…

私のこころの風景

日々の日常生活より心に残る句 私の句集「風のあり」抜粋 児 島 庸 晃 こころの風景① (平成20年6月8日記述) 風 音 の 足 音 に 似 て 五 月 く る この句は仕事と日々の生活に疲れ果てていた平成20年の句である。たまたま休日がとれた。神戸北野町へ心…

フレーズ俳句の創始者…俳人諧(かのう)弘子

河川敷のふたり寡黙な愛の秋 児島庸晃 (2018年11月10日記述) 武庫川は秋のまっさかりである。土曜・日曜日になると家族総出でこの河川敷に市民は集まってくる。バーべキューの匂いと家族の歓声がいっぱいに広がり、正に休日天国をつくっている。そ…

俳句における…自己確認とは何か

もしくは自己表現の本物感 児 島 庸 晃 私たちは毎日の暮らしの中で数多くの体験や知識を得て日々を無事に暮らしている。その幸福感に満足し生きているのだが、日々何事もないように暮らしている。これらは毎日の生活の自己記録でもある。しかしよく考えてみ…