小説部門入選作品……神戸新聞読者文芸

             予 想 屋 … 哲 ち ゃ ん 

             (2017年12月4日朝刊掲載)     

                 児 島 庸 晃  

 哲ちゃんの目から一粒二粒と大粒の涙が落ちる。落とすまいと顔をあげて哲ちゃんは涙を堪えた。

 春の青空は何処までも澄みきっている。天を仰いでいた哲ちゃんは俯いてしまったのだ。俯くまいと思う哲ちゃん。再び天を仰ぐ。哲ちゃんは泣いていた。

 阪神電車甲子園駅を下車、南へ十五分ほど歩くと円形の屋根が見える。甲子園競輪場である。哲ちゃんはこの競輪場の予想屋である。一レースから最終レースまでの勝利車券を予想して、客に売る仕事である。

 嗚呼、これで終わったよ、と哲ちゃんは呟く。五十年も続いた甲子園競輪場最終レースの優勝者の決まった瞬間であった。車券の売り上げが減ってきて赤字が増え競輪開催が廃止になる。いま哲ちゃんは来し方、行く末をしみじみ考えていた。哲ちゃんは勝者も敗者も見てきた。人生を賭けたレースは哲ちゃんも同じであった。多くのレースを予想して、客を一喜一憂させてきた。「人生はレースですよ」と哲ちゃんはよく言ってきた。

 四〇〇バンク上では甲子園競輪場最後の優勝者が一周していた。哲ちゃんはバンクの方を見つめながら呟いた。「楽しい人生だったよ」。顔を前に突き出し最後の優勝者を見ていた。最後の優勝者、秋田幸男は哲ちゃんが予想屋を始めた時からの友達であった。当時、哲ちゃんは二五歳、秋田は二〇歳、ともに駆け出しの若者であった。いろんなことを話し合った。話し合いながらも「哲ちゃん、幸ちゃん」と呼びあえるように親しくなっていった。哲ちゃんは今この仕事に就いた時の事を思い出していた。殴り合いの喧嘩が知り合うきっかけだった、と改めて頭の中にある何十年も前のことを引き出し、その思いに浸っていた。彼奴も随分と我儘で自分を通すやつだったなぁ、と記憶が蘇ってくる。

 競輪開催三日目の最終日だった。秋田はB級優勝戦で勝てなかったのだ。このころはまだ競輪競争はB級・A級・S級とあって、そのB級で勝てなかったのだ。その理由を予想紙に書いたことが秋田を怒らせたのだった。未だに哲ちゃんは、間違ったことは書いていないと思っている。それから三十年が経っていた。

 秋田幸男はバンクより観客へ白や赤や青のカラーボールを投げ込んでいた。その中には記念品が入っているのだ。観客は歓声を上げ秋田からのカラーボールを待っていた。「哲ちゃん、哲ちゃん」。秋田は突然大きな声を出した。「哲ちゃん、俺の気持ち受け取ってくれ、これが俺の最後の気持ちじゃ」。秋田は力一杯、観客の中にいる哲ちゃんへカラーボールを投げ込んだ。

 

 春なのに暑い日だった。四月中旬と言うのに気温が二八度もある。少し歩くと汗の出る日だった。バンク上は三五度もある。哲ちゃんは甲子園競輪場の正門より入ってすぐ左側の人のよく通る部分に屋台を出した。屋台の前面には当日の専門誌を貼り出した。右側にはダービー、左側には競輪研究を貼り、その真ん中に哲ちゃんの予想紙を貼った。人生における最初の仕事始めである。今日が初日であった。予想紙を貼る手つきは素人とは思えないほど早くて手慣れている。貼って三〇分もしないのに客は集まってくる。「おっさん、当たるんかいな!、当たらんかったら、詐欺やぜ、おっさん」。「おっさんとはなんぞい!俺は兄ちゃんや」。「おっさん、ゆうたらあかんのかえ。予想屋はみんなおっさんゆうて通ってるんや。あんた素人やな。そうゆうたらいままで顔見たことなかったわ」。哲ちゃんは黙ってしまった。笑いながら話すことは哲ちゃんには出来ない。でも人から笑いを受け取る事は出来る。「当たるんかいうて、予想買いもせんとえらそうゆうな!、こらあぁ!専門的な知識をもっていなかった哲ちゃんだが、ひとつだけわかることがあった。それは人と人の心理のかけひきである。人の機微だけは人一倍わかる。レースの展開や選手の動きは人と人とのかけひきから生まれる。「ほなら、これ!買ってみい!当たるぜぇ」。数字が書いてある紙片は競輪場に来る前にナンバーリングで押したものだった。「これ太鼓判やぜ、おすすめや、これで当たらんかったら代金いらん」。哲ちゃんが自信をもって薦めた車券は第二レースだった。初日B級予選競争である。この競争は秋田幸男の新人二戦目の競争でもあった。

 これより先、新人デビュー戦の岸和田競輪で本命になりながら秋田幸男は惨敗した。この時、哲ちゃんは秋田惨敗の理由を予想紙で酷評した。秋田は哲ちゃんの自宅にまで行って抗議した。お互いの意見は衝突、殴り合いの喧嘩になった。

 その三週間後のことである。秋田幸男はバンク練習ではなく、街道練習に切り替えていた。持久力をつけるため八〇キロの行程を時間設定して走った。最初二時間と決め、足の踏ん張りを強めた。少しばかり詰めて二時間を切る練習をしていた。八〇キロを一〇〇キロへと延ばし、足の筋肉を強く太くしていった。数日後、哲ちゃんの自宅へ行き練習方法を秋田は話した。「勝つ競争ではなくて負けない競争だよ」。自信たっぷりに喋った秋田幸男の言葉が哲ちゃんの頭の中にあった。

 今日は秋田幸男のデビュー二戦目の競争である。当然の本命である。競輪学校卒業記念レースにおいても、三番手よりの捲りを封じて逃げ切っている、その記念の優勝者でもある。だが、スポーツ記者も予想屋も、本命どころか全くのマークなしである。秋田は出走表を見るなり目を疑った。それも先行選手でありながら、並びが他の選手を引張って逃げる扱いをしていない。二、三人の逃げ選手はいるが、年齢は一〇歳も上である。秋田はゆっくりと怒りがこみ上げてきた。馬鹿にするなよ、めちゃくちゃ逃げてやる、誰も俺のラインはいないのか、俺一人対八人かよ、負けんぞよ。同郷選手の援護もない秋田幸男であった。

 初日第二レースはB級一般、先頭固定、二〇二五メートル、一周四〇〇メートルを五周する。秋田幸男は六番車で、レース中一番弱い選手がもらう番号である。レースは先頭員の後に秋田の正攻法で始まった。秋田の後には一番弱いラインが付けた。打鐘で最後尾のラインが抑えて来る。秋田はインで粘った。そのまま突っ張って逃げるつもりであったが抑え込まれた。抑えたラインの二番手の内側で競り合った。中間ラインにいた同郷選手は秋田を抑えて逃げたラインを捲った。一着は秋田の逃げを使わなかった同郷選手であった。 哲ちゃんは四コーナーで戦況を見つめていた。バンクの外側に張られた金網越しに選手の周回を見守っていた。「新人がイン粘りかえ、逃げんと粘って差すつもりだったんかい」。競輪フアンの乱暴な言葉を、哲ちゃんは歯がゆい思いで聞いていた。「アホか、勝手なことしやがって、同郷の彼奴は秋田を見捨てやがって、汚い奴や」。哲ちゃんは予想紙を金網にぶっけた。「おっさん、否、兄ちゃん、金返してんか」哲ちゃんの予想を信じて買った客が集まってきた。瞬く間に哲ちゃんは囲まれてしまった。「予想屋ゆうて嘘屋やないか、人を騙しよってから、金を返してくれ!」。屋台を叩いて怒る。「太鼓判押すとゆうたやろう」。哲ちゃんは頭を下げてじっと立っていた。「金を返せよ、返さんか」。眼前の出来事を哲ちゃんは見つめていた。「ぶつぶつ言わんでも返したるわ」。黙っていたが突然、哲ちゃんは怒鳴った。「なんぼやね、なんぼやったいいんや」。哲ちゃんは大声を出した。予想は外れたが秋田に力がないわけではない、と哲ちゃんは思っている。人と人の繋がりを大切にと考えていた哲ちゃん。秋田が負けたから大変なことになった、のだと哲ちゃんは思わなかった。「ここに一〇万円ある、持って行け、これが俺の気持ちや」「一〇万もはいらん、こんなにはいらん」。客の一人は後退りした。「かまわんから持って行け」。一万札を掴む手を前へ出した。「俺の気持ちわからんか、人間と言うのは損得やないんや、人間は一人なんぼやない、人一人が金で計算できるか、わかるか」。「あんたはほんまにかわってるわ」。「人間はいつもきれい心もたなあかん」。だんだん説得調になり、哲ちゃんは周囲の者に向かって演説を始めていた。「秋田のレース、汚いレースやったな、同郷選手は秋田をマークしなかったやろ、秋田の逃げに同郷選手は附けなかったやろ、これは人間としては許せない行為や、しかも秋田の失速を見て見捨てて捲った、こんな汚い競争ってあるか」。「そうや、汚い競争やった」。群衆の中から同意の言葉が湧いてくる。取り囲んでいた競輪フアンと哲ちゃんはお互いにどちからともなく手を出し合っていた。哲ちゃんは、ありがとう、と頭を下げた。人の機微を摑む心を知っていた。それは哲ちゃんの真心でもあった。

 

 哲ちゃんは力いっぱい声を上げた。「幸ちゃん、しっかり貰ったぜ」。甲子園競輪場、廃止による最後の優勝者、秋田幸男からスタンドに投げ込まれ受け取ったカラーボール。陽光はカラーボールに降りかかりより赤く輝く。…よく五〇歳まで頑張ったね。しみじみ哲ちゃんは思い出していた。…幾多の困難を超えてきたもんよ、人生は年齢ではないよ、経験だよ。スタンドに投げ込まれたカラーボール。廃止による五〇年余の記念品は、いま哲ちゃんの手の中にあった。歓声が谺する中で哲ちゃんだけは天を仰ぎ出てくる涙を抑えていた。「幸ちゃん」と哲ちゃんは一声大きく叫んだ。「哲ちゃん」と力強く言葉が返ってくる。二人の目と目は一つになった。信じ合うことの素晴らしさを知った日でもあった。場内には…蛍の光…の曲が流れだし、甲子園競輪場には誰もいなくなった。