一抹の寂しさを感じたとき俳人は……

        俳句の三題、それは 愛と 死と 旅と

                児 島 庸 晃

 見渡すところまでの川の尻尾を探して目に緊張感を感じている時間はほんの数秒であった。川の先端を目で追いながらまだまだ先のほうまでも見ようとして目に緊張感を与えていたのだが、そこで視野から川の水はポツリと消えた。その先に至るや水はなかった。涸れ果ててただの石の原っぱに見える。…私は今日、私の少年時代を過ごした思い出の場所を求めてやって来ていたのだった。兵庫県尼崎市園田地区、ここは私の中学時代の思い出の多き場所。この近辺には競馬場があり、また田能遺跡の歴史が存在、南北に走る川、藻川がある。私はこの川へ日々の悩みを棄てに来た。中学二年で愛媛の片田舎から転校してしてきた私は随分といじめにあっていた。ほぼ毎日のように服のボタンはもぎ取られ、ぼろぼろの服を手にぶら下げて家に帰ってゆく、そんな日々の繰り返しにここへと足が向くことが多かった。この場所は私にとっての心の再生の場所でもあった。いまこの場所を何十年かぶりに目に入れる。当時はこの藻川のほとりには競馬馬が闊歩していて、調教がわりに川の土手を歩く姿が見られ、私はこの美しさに心が癒されていた頃があった。何ともいえない心を貰い鬱積した私の心を棄てた。そしてこの川の流れの純粋な水の豊かさに心を託した。だがいまこの川には流れる水も無い。まるで筋のごとく水はとどまる。一抹の寂しさを感じたとき俳人…伊丹三樹彦の故郷である兵庫県三木市でのあれこれが浮かんでいた。
   川涸れた故郷 ゴロンとゴツンと石   伊丹三樹彦
俳誌「青玄」135号、昭和36年3月、帰省して得た心の行方は如何であったのか。誰でもそうだが故郷にある思い入れは決して楽しいものばかりではないだろう。不幸な幼年期を過ごした三樹彦であればなおさらにその思いは強い。この川は三木市の中央を流れる美嚢川(みのがわ)。加古川市へと流れるこの川はただの思い出の地のものではない。その幼少時いろんな悩みと、いろんな苦しみとが交差した場所。その中から救いにも似た俳句という形が生まれたのだと思う。私はこの句を知った時から三樹彦の純粋性を見た。身体で得た感動は言葉になり、テーゼになり、そしてひとつのテーマをもつ。青玄前記60は、それを証とした。…俳句の三題、それは 愛と 死と 旅と。この頃故郷にたびたび帰っているのだが、この頃の句にもその後の句にも純粋性のきらめきを見ることができるのだが。…春風を手掴み 帰郷の丘の僕…その純粋性の真剣さに多くの青年が育ってゆくのだ。坂口芙民子、坪内稔典、澤好摩、橋本昭一、穂積隆文、摂津幸彦、鈴木明、諧弘子、矢野豊、川崎潔、屋代梨枝子、立岡正幸、伊丹啓子、大本義幸、長谷川(児島)貞子、。まさに親衛隊と呼ばれるに相応しい若者であった。全国で50人ばかりの若者はいたであろうと思う。私もその一人だが、その俳句と取り組む姿勢にはとてつもないエネルギーと気迫を感じたものだ。これらの原点と言える故郷俳句を私は永遠に心に残したいと思う。