一般文芸(俳句・短歌など)

俳句における味のいろいろ

俳句の個性とは…そのように思って俳句の道を50年余も歩いてきた。だが、私にとっての俳句の道の始めは、高校生のときだから遠い昔である。…にも関わらず、いったい何を学んできたのだろうか。未だに何も会得していないのだ。そしてその多くは俳句の味を、…

神戸新聞読者文芸 私のメモリアル③

神戸新聞読者文芸 小説部門入選作品 河 川 敷 の 哲 ち ゃ ん 児島照夫(庸晃) (2004年3月8日朝刊掲載) 冷たい雨の日だった。「お願いだから死なせてくれ」。私の手を掴み必死に懇願する男。名前は哲ちゃんと言う。足首にくくりつけるコンクリ^と…

俳句にも文体と言える…句体がある

俳句が魅了されるには秘訣がある 児 島 庸 晃 俳人の個性を調べていてわかった事がある。その特色と思えることの一つに俳句にも多種多様な表現文体があるのではと思えることがある。その事のほどが読者を魅了するのだとも思えた。散文の文章には書き手の独特…

俳句は瞬間の感動が最も大切

作者の心の艶が具象的に表現されたものが俳句 児 島 庸 晃 私達の心には…襞(ひだ)…がある。その襞に多くの物がひっかかる。その時の感触を、私達は…感情…と呼んでいるのではないかとも私は思う。物事に共感するとそれそのものが自分自身の経験と重ね合わさ…

俳句における虚と真実

俳句は何故面白くなくなってしまったのか 児 島 庸 晃 何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていてもすこしも面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会では作者名を…

梅の季に思う(2006年3月12日記述)

梅の村ハープ奏での雨になり 児島庸晃 今日は朝から雨の一日になった。春になる前には雨が多く、そして雨の後には寒くなる。体の調子がガタガタと崩れる。頗る悪い。 …こんなとき気分を良くしようと「雨」に目をむけても自分自身を勇気付けてみたくなる。雨…

奇物陳思と言うものは(2006年3月10日記述)

立冬やひとはぬくみを目に灯す 児島庸晃 ときどきではあるが俳句の出来る場とか瞬間のようなものははたして何なのだろうか…そんなことを真剣に考えてみる。奇物陳思と言う俳句の基本は発句が俳句として独立独歩を始めたときから変わりはない。しかし今「奇物…

俳句言葉と日常言葉は違う

日常言葉俳句には緊張感・臨場感が感じられない 児 島 庸 晃 俳句作品と呼称されるものを見ていて、これは一行詩なのか短詩なのか、と考えてしまう場合がある。もっとも俳句は定型と言われる五・七・五の約束ごとはある。だが、現代俳句は非定型や多行形式も…

俳句は可視と不可視の間に成立する

…… 心 は い つ も 眼 心 …… 児 島 庸 晃 俳句は生きている実感、そしてその真実を如何にして記録してゆけるものなのか。俳句は可視の世界の現象だけではなく、不可視の世界に現れる心の変化を取り入れる必要があったのかも。心の中だけで出会う現象を記録し…

俳句は一行のコピーではないのだが……

俳 句 の 本 質 を 分 析 す る 児 島 庸 晃 昨今の句会の現状は、何人かが集まってその場所で行われる句会も、インターネットを使っての句会も、最高点句と言われるものは、挙ってキャッチコピーに類するものが多くなった。何故だろう。社会一般を通じて、…

 目視も感受も俳句の言葉たち

… 比 喩 を 考 え る … 児島庸晃 比喩表現がどうして俳句にとって必要なのだろうかと考え始めて、私の脳中は、ずーっと混乱の毎日である。俳句そのものが視覚からの発想によるものであれば、比喩の発想をする必要はないのではないかと思い、いろんな現実を思…

俳句は日常体験の感動を改めて蘇生させるもの

人工知能(AI)「一茶くん」に対する私の思い 児 島 庸 晃 最近の俳壇で話題になり始めたことの一つに人口知能を使って作った俳句作品の良否が、あちらこちらで起こり、いろんなところで話題の中心になり始めているのに驚かされている私である。何故かと言…

俳句におけるアイロニー言葉とは…

俳句は意味で作ってはならない 児 島 庸 晃 目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは大脳で判断してそのように思われているのだろう。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の…

俳句の一句が成立するまでの過程とは…

顕在意識→連想→潜在意識を経て成り立つ 児 島 庸 晃 最近になってのことだが良い句には、作者独自の思考の形があるのではないかと思うことが私には多くなってきた。そのように思うようになった根拠には、人間本来の底に棲みついている、潜在意識としての姿が…

俳句にもテーマやレーマがある

その一句は何を表現したいのか 児 島 庸 晃 俳句を読んでいて何故と思うことがある。…その句を何回読んでも何を主張したくて作ったのか、何を伝えたかったのか、理解できない句が最近多くなったように思う。これは作り方が拙くて、充分に表現しきれなく伝達…

俳 句 言 葉 の 魔 法

昭 和 ロ マ ン を 求 め て 児島庸晃 昭和は遠い昔の時代になってしまったのであろうか。時々懐かしむほどに時代はいろんな思いを残し過ぎ去ろうとするのだろう。思えば思うほどに時代はいろんなものを残してゆく。昭和は言葉の引き出しをいっぱい保持出来…

俳句としてのアドリブ表現

俳句の臨場感とは 児島庸晃 毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌や結社誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚の薄い句のなんと多いことか。個人の生活を詠うにしてももっと心の…

神戸新聞読者文芸…私のメモリアル⓶

神戸新聞文芸 掲載作品(入選作品) 児 島 庸 晃 〇川柳部門 2021年神戸新聞文芸川柳1月・4月・6月入選句を紹介させていただきます。 ★1月入選句(2021年1月4日朝刊掲載) 題…「脱ぐ」 特選 蛇口より脱皮始まる水ぞ今朝 選者…矢上桐子さんの評…

俳句の新しさとは何なのか…

その一句の発想は作者の思考そのものなのだが 児 島 庸 晃 最近になってしきりに考えるのは、俳句総合誌や結社誌、同人誌を拝見しても、どれもみんな横並びで心へ飛び込んでくる句の少ないのには驚く。…特にそんなふうに思って見ているのではないが、ここ5…

「物」俳句と「事」俳句‥‥俳句には二つの形

それぞれの句会における選句の違い 児 島 庸 晃 俳句を作っている人の殆どが、自作の句をどのようにみなさんは評価していただけるのかとの思いに日々苦心を重ねているのが、いま一つの大きな悩みになっているのではないだろうかとも私は思うようになってきた…

俳句の伝達性とは何なのか

句会の席で…よく聞く言葉がある。披講の時間がきて最高点句が発表されると、その句についての合評で、問題視されるのが、伝達性の有無である。伝達性は知識や体験、それに句そのものの表現方法によって鑑賞の相違を生むものだが、はっきりしていることは、言…