俳句の新しさとは何なのか…

                           その一句の発想は作者の思考そのものなのだが

                                                児 島 庸 晃

    最近になってしきりに考えるのは、俳句総合誌や結社誌、同人誌を拝見しても、どれもみんな横並びで心へ飛び込んでくる句の少ないのには驚く。…特にそんなふうに思って見ているのではないが、ここ5年ほど前から顕著になっているようにも私には思える。これは私も含めてではあるが、俳句を基本的に思考して何かが足りていないのではないかと私自身も思うようになった。何なのだろう。何故なのだろう。より多くの句を過去へ遡り読んでみた。だが、難しくてその理由はわからないが。悶々とする日々。過去へ振り返り俳句の歴史を辿ると、それなりに何かの変革が起こっていることがわかった。伝統俳句から現代俳句へ、その後は社会性俳句へ、前衛俳句へ、そして今は、より日常的現実俳句へとの変革がある。これらの変遷の中で私たち俳人は、いったい何を受け継いできたのであろうか。俳句の基本的思考が、何なのかを、誰も問い詰めてこようとはしこなかったのではなかろうと私個人としては思うのである。いったいそれは何なのだろうと、私自身を責める日々となっていた。

…俳句の新しさとは何なのか。この私の問い詰めをするとき、過去の俳句の変革の歴史が繰り返されてきたようにも思う。社会性俳句も前衛俳句も日常的現実俳句も、所詮は新しさを求めてへの変遷であったのであろう。

 では、この新しさとは何。何、何、何、と問い詰めて私にわかってきたのは、作者の思考の中における発想の新しさなのだろうと思うに至った。発想とは、簡単に一言で言えば、思いつき、である、思いつき、と言っても、それは作者の脳中にある思考だけでは思いつきの新しさは生まれないのである。そこには目視と言う、その作者独自の見方がある。私たち俳人は…それを感覚、つまり感性としているのである。寄物陳思とは俳句の基本なのだが、新しい俳句はこの作者の目視時の思いつきであり誰も思いつかない感覚のことなのであろう。

        神田川祭の中をながれけり   久保田万太郎

句集『道芝』昭和二年より。「神田川」は南こうせつの曲でもおなじみのことではあるが、この句は昭和二年の作である。神田明神の夏の祭礼なのだろうと思われるが、祭礼の賑やかな中を「神田川」は静かに流れ、涼気とともに一抹の寂しさまでが作者の心に響いてきたのであろう。ここで発想の新しさとは何なのかと、この句を目にした時、心惹かれるものに読者は吸い込まれてゆく。その俳句言葉とは「祭の中をながれけり」の目視の感性なのである。作者以外に誰も気づかないもの。それが「祭の中」の俳句言葉であった。「祭の中」を「神田川」が流れているとはどの俳人も見ていてはいなかった。そのような感性で表現する俳人はいなかったのである。

   発想とは発想力の有り無しにその多くを期待する時、俳人はそのどの部分に注目するのだろう。発想とも思える、思いつきは俳人と呼べる人は、どなたでも持っているのだが、一句を纏めるのに、新しさが含まれているのかいないのかの違いは何に由来するのだろう。ふと私は思う。次の句を見ていただきたい。

        如月や耳貸していて疲れる   福島靖子

俳誌「歯車」333号より。この句の特色は表現が従順ではないのである。「耳貸していて」なのである。身近にいるであろう人の話を聞いているのであるが、そのようには受け取らず「耳貸していて」なのである。多くの俳人は発想はしっかり出来ているのであるが、何かが足りないために新しくないのである。その足りていないものはと問い詰めてゆくとき、私はそのヒントらしきものがわかってきた。想像力なのである。想像力と発想力との違いなのである。想像力とは作者の感性によるところのアイデアなのである。作者の発想をしかりと読者に理解させるには、そのことに相応しいアイデアがなければならないのである。この句の場合は「耳貸していて」の俳句言葉を生み出すアイデアが作者の感性のなかに目覚めていることだった。この「耳貸していて」の言葉の表現が新しい俳句を生みだしたのである。つまり、他人の話を聞いているのだが、ただ聞いているのではなく「耳貸している」なのである。よくあることだが、発想つまり思いつきをそのまま俳句にしている句が多いのである。そのような中にありこの句は発想のままにはしないで想像力といえるアイデアで表現された言葉を施したことであった。

 だが、発想に想像力を施さなければどうなるのだろうと思う。発想とは、思いつき…。しかし最近の俳句には広告のキャッチコピーのような発想が多くなった。広告は物品を販売すれば良いので、思いつき、と思える発想で良い。俳句は詩である。心への呼びかけが大切。思いつきは発想より発展したものだが、思いつきのままでは一過性の刺激である。心には何も残らないのである。正述心緒になってしまう。発想は、ここより始まる俳句の入り口に過ぎないので一句にはならないのである。その作者ならでこその感性がいる。その感性は一句の出来具合を決めることにもなる。…それが想像力なのである。それにはアイデアの施しがいる。

   号令が解除されない蟻の烈   堀 節誉

俳誌「歯車」389号より。この句には発想力の転換がある。目視力の素晴らしさも際立っているのだが、その基本になっているのが発想力である。この句での思いつきは普通の目視ではなく、作者独自の心の転換がなされている。「蟻の烈」の目視での発想が「号令」をかけられ直進しているのだろうと思う作者の目視がある。これは「蟻の烈」より「号令」へと連想を呼び起こしているのである。これが作者のアイデアなのである。そしてそれは「解除されない」ままの「号令」なのだろうと、発想の転換がされている。こういう発想の変革は、数多いる俳人の中においてもされてはいない。新しい発想の魅力は読者の想像を広げて心へ染み入る。何が染み入るのかと言えば、この句のテーマであるところの「蟻」の宿命なのかとも思える悲しさや虚しさの気持ちを強めている。ここには新しい発想の進展がある。多くの俳人にはこのような発想はこれまでなされてはいなかった。それが連想へと言う心を広げ心への転換になる。発想そのものが作者のアイデアによって新しい発想へと導く俳句となった所以である。

 アイデアの施しが一句の成否を遂げるのに、どれほど重要であるかを考える時、ここに大切な基本があるのではないかと私が思い出してから、やっとその思考判断が出来る事柄が解ってきた。私たち俳人はずーっとこれまでの過去の引例に拘り過ぎていたのではないかと私自身も思ってきた、やはり過去の俳句作品に私自身も拘り過ぎていたようにも思う。

固定観念を棄てること。                

一句の中に異質のものを施すこと、異質のものを組合すことが、想像力におけるアイデアを生み出す基準ではないかと思うようになった。今までに例を見ない俳句作品を作る術のように思えてきたのである。

 ではどうして固定観念もしくは固定概念を棄てるのかなのである。その方法として…連想…の意識を強めること。物には既に決まった意味なり意識がある。これらの持つ価値観を…連想…により別の物に転換することなのである。

   高熱の俺からはじき出た三日月    鈴木石夫

句集『裏山に名前がなくて』より。ここでの連想は「高熱の俺」から「三日月」へと意識の価値観が変革されている。どういうことかと言えば、「三日月」の照り輝いている状態から、「高熱の俺」の高体温による熱りの苦しみへ比較連想を試みていることなのである。こう言う意識の変革は難しくてどの俳人にも出来なかった。だが、この一句は見事に意識の価値観を変革させている。面白くさせているだけではなく、この句の奥深く流れている作者の意識の状態が悲しみの気持ちの心にも思えてくる。

 

 今は殆どが日常的現実俳句の中における人間性の心が壊れてはいないものが、作品的価値観を有するものとして、多くの俳人に愛好されているのであるが、もはや通俗性の範疇においてのみの作風になってきているようにも私には思える。通俗性が当たり前のものとなれば、益々その句の価値観は薄っぺらなものになる。見慣れた傾向の俳句が多くなれば面白くなくなり、その一句への求心力が薄れ、俳句への退屈がはびこる。やがては作っても作らなくても、どうでもいいものの思考が強まる。常に私たち俳人は新しくこれまでに表現出来なかった俳句作品を求め努力しなければならない。これまでも過去の俳句を歴史的にみても変革の流れの中で変遷されている。先に書いたように伝統俳句から現代俳句へ、その後は社会性俳句へ、前衛俳句へ、そして今は日常的現実俳句へと、次なる新しさを誇れる一句を生むための努力がなされている。次の若い世代には、その心を引き継いで貰えなくなる。広告のキャッチコピーであってはならない。俳句にも新陳代謝がいるのであろう。