心を無にするこころの大切さ

    生きてゆくためには心の浄化がなされなければならない。社会の現実に埋まり鬱になる。心の純白は俳人の一句の中にも出せる。俳人俳人の交流はお互いの心の繋ぎ合いでもある。現代俳句は、この感情表現の成否により、読者への受け入れを素直にする。それには心の浄化が最も大切なのである。

        山又山山桜又山桜   阿波野青畝

総合誌「俳句」平成15年5月号より。物事を目視する、その瞬間、この句ほど心を無にして、無心にして接すことに徹した句を、これまで私は見たことはない。この句は、私がこの句を知った時からなのだが自然詠ではないようにも思っていた。「山又山」と目視のそこに見たものは自然そのもの。何の汚れもない色彩の姿である。だが、作者の心が無でなければ、この自然の美景は見えてはいなかっただろうと私は思った。ここには作者の心の純白にして無心の私性が強く存在していたこと。無心の心の在りようが作者本人に宿っていなければ、ここへの受け入れは出来てはいなかったのではないかと何時も私はこれまで思ってきた。

    私自身の心を無色透明にしておかねばならないことは、1970年当時の時代性にあった。感情表現をする時、如何に心を無にしていることが、目視に際し大事であるかを当時の事として知る。無心の心でなければ、周辺の物事を目視しても何も感じないのである。心が汚れていれば何も感じなくなる。目視しても何も心には入ってこないのである。私の記憶に強烈に残る一句がある。

        空賊遠く鏡中泳ぐ平和な髪   児島庸晃

私の句集『風のあり』より、1970年頃だったか。よど号ハイジャック事件が起こった。その背景にあったのが魔女重信房子の存在だった。その事件をラジオの臨時ニュースで聞く。その時の句である。この時代は若者の自殺者が多かった。世界同時革命を目論み立ち上がった事件だった。この暗い世の中にあることは私の身辺の事実でも知った。俳誌「渦」の同人だった中谷寛章と喫茶店で話をしている時、重信房子との交流のある中谷寛章の側に公安警察の目が光っていたこと。この時私は心が汚れとても悲しい思いをした。この事実を私は自分自身の心中を無にすることで耐えた。この時に目視したのが鏡に映った「平和な髪」であった。手の汚れを洗い落し、ふと鏡に映った私自身の頭髪がふぁっと広がり豊かに泳ぐようにそこにはあった。この平和な情景に私の心が救われた思いに安堵した。そして無心になるこころの大切を知る。29歳のときだった。

    俳句の感情表現を検証することを考えたのには最近の俳句傾向を思ってのことであった。俳句の中に出てくる言葉があまりにも直情言葉が多くなってきているからであった。美しい、楽しい、嬉しい、麗しい、悲しい、苦しい、汚い、は感情を表面に示すことばである。だが、これらの言葉は俳句表現では使えない。それは俳句の心表現をする時は、このような単純な形容詞で述べるような心ではないからである。心を真っ白にしての目視ではこのような直情にはならないのである。汚れの無い心で物を目視した時は、もっときめの細かい事実が見えてくるのである。人の心を豊かにするには心が純白であらねばならないのである。また心を空白にしていなければ何も見えてはこないのである。心を無にし無心に徹し物を目視したいものである。