歳末の先のとがった風見たか 児島庸晃
午前6時に家を出て通勤のため電車の駅へ向かう。ふと見ると国道2号線の温度計は1度を示していた。やっぱり師走の月なのだと思い知らされる。体中が硬直して足が前には運ばない。腕に力を入れては身体を推し進めるのだが、もはや晩年の身体ゆえそう簡単にはゆかないのが現状。なんとも情けないわが身になってしもうたわい。信号待ちをしては何箇所かを抜けて駅へ。その間わが頬を風が殴打して行く。頬を風になされるまま前進も痛さが一層強く続くたびに完全に風の餌食になっていた。風の先っちょは刃物のように尖り私を戦死させている。ああ?そうなんだと思うことが脳裏にあった。
耳がいたくて寒くて 裏切りみたいな日暮 伊丹公子
句集「メキシコ貝」(昭和40年6月刊)55句のなかの一句である。…そうなんです。この句の原点らしきものに触れたとき、或ることを思い出していたのだ。昨夜読んで脳裏に引っかかっていた仁平勝氏の句会のあり方の問題提起が未だに解けないでいたとき、公子さんの句を思い出していたのである。芸術には鑑賞して楽しむ道と作者自ら楽しむ道の二つがある、という柳田國男氏の言葉を用いて俳句は後者であるという認識を手に入れてきた、という。そして第二芸術論に代表される近代的な芸術観の外側で、俳句という文学の価値を見つけたのである。と述べている。結論を述べれば句会の本質は芸術談義であることを理解せずに句会イコール俳句の指導だと思っていることだとしている。…だとするとこの公子さんの句こそ芸術談義に相応しく純度の高い価値があるのでは、とも思ったのである。当時の俳壇にあっては先ず定型の問題で否定され、なによりもこの自由な情の主張が俳句指導の道を壊しているとまで言われたのだ。その先頭を切って発言したのが赤尾兜子であり、現代俳句協会賞の選考のときにも響き何回か賞を逸した時期があった。後に受賞の栄誉を受けるのだが公子さんはこの発想思考を守り続けた。今考えるに句座って何なのだろうかと思う。互選という価値なので当然最高点はある。一点も入らなければ価値のない句であり、どうにもならない句なのかとも思う。だがここには個個人の好き嫌いまたは考えの相違もある。やはり句座は指導ではなく俳句談義なのかもしれない。津川絵里子さんはいう。「俳句研究」1月号でのリレーエッセイでの言葉だが、句会という場の面白さのひとつは互いの違いを認めつつ好きなことを言いながら互いの俳句を高め合っていけたら、と。私も…互いの違いを認め合うことだと思う。現代俳句だとか伝統俳句だとか突っ張らず認めあえるような句座でありたい。