心のこもった情感は何時も素朴

                 水鏡鈴木石夫の忌のために  庸晃(2007年6月10日記述)

 

 昨夜来の雷鳴そして強烈な雨とここ何日かは大変な天気ではあった。梅雨ではなくてマイナス15度の冷気が上空にあるとはなんとも不思議な6月ではある。紫陽花が咲きかけたその美しい色香に酔っているどころではない。天空からは雹がかたまりとなって降って来るとは思いも及ばない毎日であった。私はその雨と雨の寸暇を利用して近くの田圃を見に出かけてみた。こんな都会の真ん中にも田圃はあり子供達はバケツや網を持って生き物を追っかけまわしているのだ。まだ田植えとはならない水田だがそこには鮒や鯉の稚魚が固まっていたり蟹等は子供に遊ばれているようで意外と喜んでいるのは蟹自身かもしれないとも思う。自然の美しさや楽しさは結構身近なところにもあり私は子供達と数時間遊び愉快な時間の虜になっていた。この子供達をみているとこの子供の何処に悲惨ないじめなどがあるのかとも思う。しばし子供を見てこの現世の社会を考えた。そして素朴でなければならない人の心の在り様も自然に還ることの大切さもわかるような気がした。実はそこにある水鏡の水田に汚れてはいない、或いは汚れまいとする心の顔を写してみたくてやってきたのであった。写しながら在りし日の鈴木石夫の思い出を探りたかったのであった。昨年5月31日鈴木石夫80歳永眠の日より1年を経て、私は水鏡に石夫の顔を捜していたのだ。その素朴な心を重ねていた。俳句の原点は飾り気のない素朴さであり作りごとではないことを確認したく…。

 

    大寒や三途の河に橋はあるのか  鈴木石夫

 

2003年俳誌「歯車」発表作品である。思ったことを思ったままに心のままに書く。作るという考えなどはないのだ。それが良いことなのかそうではないのか、そんなことなどどうでも良いのだ。ここには極あたりまえのことを当たり前にする。誰かにみせるためにではなく、かっこよく仕上げて俳句にするのでもない…そんなものは毛頭ないのだ。作意もなければ見せびらかしもない。思ったことを思ったときに思うままに喋る。正に俳句の原点なのではないかと私は思ってしまう。…この句は発表当時から私は鈴木石夫の真髄に触れた思いを持ち続けてきた。昭和23年「暖流」入会。昭和27年「暖流」同人。そして昭和33年石夫編集による「歯車」第1号発行。私は3号より加入指導を受ける。だが鈴木石夫は大久保史彦氏も書いているように先生と呼ばれることを好まず主宰者や師ではなく同じ仲間の代表という立場であった。…作品も雑誌の巻頭を避けて、私たちの作品の最後にひかえ、静かにそしてあたたかく私たち一人一人を見守ってくださいました、と大久保史彦氏の追悼の辞の如く、心の温かさが句を支えているのだと思う。作品は作るのではなくそれ以前の心を磨くことの大切さを教えられたのであった。「三途の川に橋はあるのか」と真剣に考えるこのおかしさから来る悲しみは技巧でもなく意味でもない。どれだけ素朴になることが出来るのかと純粋にならなければ心に響いてはこない。俳句は人に見せびらかすものでもなかれば作りこむことでもない。心のこもった情感は何時も素朴なのだと思う。そんな一句である。