一俳人の俳句の存在意義
児 島 庸 晃
それぞれの俳句に含まれる『何故』とは何なのか。どうして「何故」が『何故』を生むのか。伊丹三樹彦が白寿を前にして亡くなり、三樹彦が残してくれた文言に改めて深い重さを受け取っているのである。そこで今回は俳句における『何故』を考察検証しようと思った。本来の「何故」は物事に対して疑問を感じたときに思う謎ときの言葉なのである。そしてもうひとつの『何故』はその疑問が解けたとき納得できたときの回答のことばなのである。17音律の一句の中には常に「何故」と『何故』を表現する二つの俳句言葉が存在する。この「何故」にはパーパス(存在意義)があるのだ。ここには作者の存在する理由があった。この理由そのものの存在にこそ俳人としての価値観がある。
杭打って 一存在の谺呼ぶ 伊丹三樹彦