終身生命あることの大切を問い続けていた俳人

       俳人桂信子における必死な心(2023年1月23日記述)                
                児 島 庸 晃
 見渡す限りの水面に冬鳥たちは快く楽しくその冬の一瞬を遊んでいるのかにも思える午後の武庫川であった。だが、朝の気温がマイナス1.5度。早朝の武庫川の風景が見たく何時しか歩みはじめていた。風は北から南へと吹きつけ身体は深深として耳や目に浸み込んでくのだが、私はしっかりと只今を見て鳥たちの動きを心に刻んでいた。目を遠くより近景に向けるとそこにはきびしい現実があった。川岸の部分は流れが全くなく一面の白。凍っていて光っているのだ。あっと驚き目を瞑ったときだった、そこには脚が氷の中にあり、身動き出来ない鳥の姿があったのだ。じっとしていて不動の姿勢にはなんとも言えぬ我慢が鳥自身にも存在していて、私への啓発のようにも思えてくるともう私には我慢どころではなかった。…鳥には水掻きと言う本来の道具があるのに今は無用でしかない。そうだ。人間にもこんな状況があるではないかと思ったりして、私はいらいらとして腹立たしくもなっていた。私はそっと傍に寄ってゆき凍りより鳥の身体を抱え上げていた。生きることの、或いは生きてゆくことの存在を強く感じたとき、私は俳人、桂信子の終身生命あることの大切を問い続けていたことを思っていた。
   覚め際の身に張りつめる薄氷  桂 信子
俳誌「草苑」64号、1975年6月に掲載のこの句は私の心を震撼とさせてくれた、私を開眼させてくれた句でもあった。そのころの私は何時も心の不安を抱えていて、何をしても上手くゆかず失敗の繰り返しであった。この時この句との出会いに一つの啓示を受けたのだ。「草苑」創刊同人に参加して5年目のことだった。桂信子はその句を生み出すにおいて何時も嘘偽りを句にこめることを1番嫌がっていたその時、私は無理してまでも自己劇化をしようとしていたのだ。句にこめることの素直さを真剣に問い詰めるとき、信子作品には何時も生命の輝きがあり、それだけに真剣に命を考えていたのだ。この時信子作品の根底を流れているのは「命」そのものなのだと悟ることが出来た句なのである。全作品を通じて命そのものの存在と、一生を句にこめる闘いを貫き通した俳人なのでは思う昨今、私は「薄氷」の句は私に強い緊張感を与えてくれた句として忘れられないのである。