俳句が全く面白くない……生きていることの実感がないと言う人に
児 島 庸 晃
何処の句会に出ても一様に聞く言葉がある。最近の俳句作品を見ていても面白くないという。そしてどの句を見ていてもどれも同じに見えてくるというのだ。何故なんだろうと思う。句会では作者名をわからないようにして出句も選句もしている筈なのだが…。それでも同じ作者なのかとも思うことがあるそうである。結社誌であれば主義主張が似てくることはあり得るが、同人誌や仲間誌の中でもそのように思えることがあるのだと。最早これは没個性の俳句になってゆくのではないかと、危惧されるのだが。
では、この現象は何に起因しているのかと私は戸惑ってしまう。ずーっと以前からの私の考え事のひとつであった。最近になってその要因がすこしばかり解ってきた。どう考えてみてもそこには、芭蕉の教えの中にあるように思えるのだ。いろいろ探っていた或る日、私なりに理解できる言葉を知ることが出来た。次の森澄雄さんの言葉である。ここには句を作る私たちへの啓蒙にも思える言葉である。
俳人は神仏を信じなくてもいいが、「虚」を信じなければ駄目だ。でないと巨きな世界が詠めない。今の俳人は最も大事な「虚」が詠めなくなった。
「虚にゐて実を行ふべし」の名言を芭蕉は残したが、詩の真実としては、「実」よりも「虚」のほうが巨きい。
芭蕉の多くの句は、空想句つまり「虚」である。子規、虚子の言う写実ではない。しかし、虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出したのだ。
この言葉は澄雄さんが角川春樹さんに語った言葉である。森澄雄さんが語った内容は『詩の真実 俳句実作作法』(角川選書)という対談の中でのもの。一九八七年に出版された対談形式の中での言葉であった。果たしてこの発言を素直に受け止めなければならいほど写実がオンリーワンになっていたのであろうか。もっともこの写実至上主義であったのは昭和六十年代であったが、この言葉が当時話題をなした俳句界ではあった。
そう言えば私にとってどうしても忘れられない森澄雄さんの句があった。いまも鮮明に脳中に残っている。
私がこの作品を見た時の印象は映画を観て感動して暫く動けなかった時の状況と一緒だった。映像が鮮明であるというよりも、一瞬の幻想の世界へ迷い込んでいるのかと思うほど、現実ではあるが、そのことが目の前で起こっているとは思えないほどの一瞬の幻を見ているような臨場感に引き込まれていた。つまり、一瞬の「虚」であったのだ。私は澄雄さんの仕掛けた「虚」に引き込まれていたのである。この句が従来からの写実で作られていたら吃驚はしない。何が新鮮で面白いのか。写実表現であれば「炎天来て…」「炎天や…」と上五音表現になる。「炎天より…」とはしないのだ。作者自身が日常から非日常へと変革した心を映した目になっていることがわかる。つまり、澄雄さんの言うところの…虚でありながら実以上の「詩の真実」を見出していたのである。これはまさしく芭蕉の俳句世界である。
芭蕉にはあの有名な句がある。芭蕉の「閑さや岩にしみいる蝉の声」も現実には蝉の声が岩にしみいるわけがないのだ。こうであったらいいがという空想の世界で本当は「虚」の世界。虚景である。だが普通私たちは現実の世界と思って受け入れているのだと思う。
この森澄雄さんのこの幻想句も虚景の句である。でも私たちは虚景とは思わないで幻の原風景に引き込まれてゆくのだ。写実では得られない心の風景であった。
ところで私には、「虚」を「真実」へと誘引して、私を空想の世界へと遊ばせていただいた二人の俳人がいる。
少年のたてがみそよぐ銀河の橇 寺山修司
寺山さんは多彩な方で俳人というよりも短歌人としての名声が一般には流布されている。また演劇人としても著名な方。だが、私が一番影響を受けたのは俳人としての「氷海」に投句されていて秋元不死男選を受けていた頃である。まだ高校生から大学生へと進み変身を遂げている頃。従来からの句からでは得られない感動をもらっていたのだ。どのように発想を工夫しても、当時の俳壇は日常の次元からのもので日々の生活の延長のように思える句が多かったものである。どの句を見ていても退屈してばかりであったのだ。このころ句へ向かってゆくときの不満を充分に満たしてくれていたのが寺山修司さんだった。その句、「少年の…」のここに表現されている句には空想が籠められている。目に映った光景を見たままには表現しなかったのだ。すなわち写実ではなかった。視線の先には、こうでありたいと言う理想を持って現実を見ていて、ここには日常より非日常へと空想が籠められているのである。これは本当は嘘の事。つまり「虚」である。しかし「「虚にゐて実を行ふべし」の名言の芭蕉の思考を試みていたことになるのだろう。当時の私はそれが「虚」の中にいて日常から非日常の世界へと誘引されているものだとは思ってもいなかった。けっして「虚」だと思ってこの「少年の…」句を受け入れてはいなかったのだ。只今の現実の光景として受け取っていた。いま、森澄雄さんの…詩の真実としては「実」よりも「虚」のほうが巨きい…という真実感が、俳句を何倍にも面白くしているのではないかと思える昨今である。「虚」は真実を引き出す魔法のような現象や現実を呼び起こすのかもしれない。
もう一人の酒井弘司さんは、私が「歯車」復刊2号に入会して最初に感動を受けた人でした。昭和32年のことである。そのころの「歯車」は12ページほどの筆耕によるガリ版刷りの印刷であった。鈴木石夫先生の熱心な鑑賞と指導文がいまでも目に浮かぶ。その石夫先生の指導を受けていたのが弘司さんであった。後に「海程」創刊に同人参加、編集人となるのだが、現在は「朱夏」の主宰者である。私が最初に受けた印象は俳人というよりも詩人としてのイメージが強かった。昭和37年句集「蝶の森」を上梓。私はこの句集で改めて写実オンリーでない俳句の魅力に魅かれてゆくのだが、ここには芭蕉の言う「虚」の世界があることに思いを馳せるのである。
秋の蝶星に雫をもらいけり 酒井弘司
ここには空想の面白さがたっぷりとある。現実であっても現実だけの光景ではない。何故人の興味を引くのか。どのように面白いのか。この句の光景は現実にはありえないことである。虚景である。「星に雫をもらいけり」などはありえないのだ。だのに何故興味が湧いてくるのか。ここには空想があるからだ。酒井弘司さん独特の、酒井弘司さんでなければならない想いがこめられている。その空想は現実の世界に生活する人々を退屈させたりはしない。楽しませて愉快に心を温かく豊かに励まして非日常の世界へと誘うことだったのかもしれない。非日常を描き、現実を忘れさせる夢の空想に遊ぶ時間を作ることなど写実オンリー表現では大変なことではなかろうかとも思う。「虚」を表現することにより現実が浮かび上がることなど、私の思考のなかにはなかったのだ。この「秋の蝶…」の句は現実より「虚」を引き出し、虚景のなかにおける私の思いを発見することだったのであろう。このことが句を面白くさせて興味を起こさせる酒井弘司さんの個性でもあったのだろうと思う。
さて、虚景を表現するとはいったい何を如何に表現すのだろうと思うのだが、それは眼前の現実の光景を引き出すものでなければならない。この「虚」を表現することは現実の本物の光景よりもより多く強くイメージを広げることが出来なければならない。イメージの範囲の限界をより広げる方が臨場感や緊張感をより強くできるのである。
俳句を面白くし想像の幅を広げるためには、写実オンリーに拘っていたのでは限界があるように思う。虚景は表現出来ないからだ。虚景の中にこそ空想や想像を籠めることが出来る。虚景の中には自由にイメージ出来る映像を作ることが出来る。現実にはないものを理想の、或いは空想の映像へと転換して表現出来ることを、私は実例を提示してみなさんに示したのである。真実の心を持って現実の生活へ目を向けていれば、虚景は嘘の現実にはならないのだ。否、寧ろそれらはより強い真心となって緊張感や臨場感を生むことになるのではないか。虚景は嘘を描くことではない。それは理想化された現実の実景を生むことである。虚と真実の境界線が本来の俳句を面白くする原点であるのかもしれない。また本物の心を伝えることなのかもしれない。