春や春坂の上には精神科 庸晃(2007年4月14日記述)
神戸電鉄大村駅…兵庫県三木市大村…ここは妻の生まれ故郷である。金物の町として全国でもそのことの程は知られている町でもある。まだその田舎らしさをすこし残しているここへ夫婦で墓参に帰った。駅は無人である。切符は運転手が受け取る。駅の周りには櫻が咲き誇り静かな中にもまだ汚れきっていないその純白に私は酔った。駅より墓地への道には春の草花が春風に揺れては私たちを迎えてくれるのだ。何年かぶりの夫婦ふたりでの墓参である。墓石の並ぶ周りには土筆がゆったりと立ちその存在のほどを主張。私たちはしばらく見とれていた。花を墓石に飾り合掌すると鶯が鳴いた。…嗚呼と私は声を出した。だがその方向へ目を向けたときだった。春の日差しの真っ只中に坂がありその登りきったところに白い建物がある。日差しの中で日向ぼっこをしている数人の人が見える。誰もだんまり俯いているのだ。そこは精神病棟だった。一瞬の間に鶯の谷渡りは脳裏から消えていた。自死した俳人…赤尾兜子…を思っていたからであった。
大雷雨鬱王と会うあさの夢 赤尾兜子(昭和49年)
俳誌「渦」誌上でこの句を知ったとき私は兜子が鬱病になっているとは思ってもみなかった。日常の行動においても話の様子にもそんな仕草や姿は思えなかった。必死で俳句と取り組み闘っている姿の兜子しか見えてこなかった。当時、西川徹郎や坪内稔典や私たち青年に第三イメージ論を説き聞かせることに必死だっただけに私には鬱に悩まされているなどとは思えなかった。この句のもつ幻想的イメージは決して暗いものではないと思う。困難に向かって立ち向かう姿勢には計り知れないエネルギーか感じられる。これこそ第三イメージのもつ基本的教唆であると思われる。兜子はソシュールの「言語論」を借りた言葉を度々口にしていた。「ことばは語られるが対者に訴え、指示する力がなくなってしまった」と兜子は語る。ことばの復権である。ことばは二つの意味をもつ、つまり表示されるものと表示するもの。表示するものはより具体的な概念であり、表示されるものは隠されたもの(非物質)である。この二つの意味を背負った一つの言葉こそ詩のことばと規程してみせたのだ。精神の在り処としての兜子自身の存在感をエネルギーに変えて語りかける詩型はその姿の証を鬱王にしてしまった。人によってその方法を俳人は作ってきた。自然と現実の沢木欣一、石原八束の素朴な実在感、超自然⇔超現実の高柳重信。日常的現実をいろんな方法、態度を用いて人々は作ってきた。だがこの日常に退屈させないエネルギーを与え、句そのものを語らせることばとしてのエネルギーは兜子ほど感じさせてくれる俳人はいないだろう。「鬱王」の句は兜子自身自死した今尚私にはそのことの意味が脳裏にこびりつきはなれない。