俳句の言葉たち……「物を例える」とは

      …比喩を考える…と言ってもただ単なる思考では終わらない

                  児 島 庸 晃

 比喩表現がどうして俳句にとって必要なのだろうかと考え始めて、私の脳中は、ずーっと混乱の毎日である。俳句そのものが視覚からの発想によるものであれば、比喩の発想をする必要はないのではないかと思い、いろんな現実を思っていた。

 ところが、俳句作品を調べていて分かったこと。…それは俳句作品の殆んどが比喩表現による十七音表現であった。むしろそれは俳句そのものが比喩であるのかもしれないと思ったほどである。いま、私の机上には「現代俳句」平成二十六年九月号がある。この号は攝津幸彦に関する論考で第34回現代俳句評論賞受賞の竹岡一郎さんの文章が掲載されているのだが、ここで、私が注目したのは攝津幸彦作品の多くが比喩作品であると言うことであった。これほどまでに比喩表現が駆使されているとは思ってはいなかったのである。

 かって私は幸彦が俳句結社「青玄」に入会してきた時から、彼を知っていて句会で同席もしていたので驚いてもいる。また、俳句誌「日時計」時代の作品も、私は同人ではなかったが、作品掲載の雑誌はいただいていたので知っているのだが…。ともあれ比喩表現は幸彦の句に対する命であったのではないかとも思った。戦争詠が作品を象徴するほど、幸彦の名前を俳壇へ示したのであるが、何故に比喩を使わなければならなかったが、いま、一つの疑問が湧くのである。幸彦は一九四七年生まれである。従って戦争体験がない。戦後生まれである。本当の苦しい戦の傷を知らない。比喩を象徴とすることで、その臨場感を出しきれるものと思ったのだろうか。戦争による心の痛みを疑似体験すために比喩が不可欠であったのだろうか。

 だが、私は、幸彦の作品に於ける比喩は本物ではないと思っている。何故?、と-考えるところから、比喩表現のあり方を考えたいのである。比喩表現とは、どういうことを指示しているのかだが、国語辞典には次のように記載されていた。

  ある物事を、類似または関係する他の物事を借りて表現すること。たとえ。  

この上記の理論らしい言葉の解説からは、すこしわかりにくいのだが、単純に述べると「物を例える」ことなのである。ある物と別の物を入れ替えても、何ら変わらなく同じである、ということなのである。

 では、何故、この比喩表現に多くの俳人が惹かれ虜になってしまうのであろうか。表現を変えるだけなのに…不思議である。随分と昔ではあるが、連想ゲームというのがあった。ひとつの言葉から連想するものを想像しては、言葉を連想させながらつないでゆく。そして、その最後に本来の回答であるべき「物」を当てるゲーム。これは一種の比喩表現なのである。これは遊びなのだが、これらは文芸の心表現なのである。この連想されてゆく過程で、その時その時に人間の心理でもある情感が生まれるのである。ある物から別の物に変わりながら感情も新しく生まれ変わるのである。この感情の変化の強弱や高低に、思いもよらぬ面白さを、表現者とは違う新しい面白さを鑑賞者は受けとるこになるのである。…ここに思ってもみなかった意外性が生じ心を癒したり、驚かせたり、慰めたり、人間の五感を刺激して定置させる。

   幾千代も散るは美し明日は三越   攝津幸彦

この句、「鳥子幻影」は俳句総合誌「俳句研究」昭和四十九年十一月号に発表された作品である。「俳句研究」第二回五十句競作で佳作第一席となった一連の句の中の最も話題になった作品である。この句は全てが比喩の句である。「散るは美し」は散華の花からの連想による比喩。「明日は三越」は宣伝コピーの一部であり、当時の社会背景を踏まえているのであろうか。私が幸彦の作品を本物ではないというのは、幸彦自身の本来の言葉がどこにも感じられないこと。比喩表現は作者自身の肉体を通過した言葉でなければ、ただ単なる言葉のモノマネに過ぎないということ。「美し」とは一般通例語であり、ここには彼らしい言葉表現が見られず、観念語の範囲であるということ。この句が、どうして、ここまで話題になるのか疑問を残したままである。彼が戦争詠を踏まえての疑似体験をするにしては困る作品なのだろうと…。比喩は俳人即ちその人の体質が感じられるものでなければ何の面白みもなくなる。

 比喩とは、ただの「例え」だけでの作品ばかりではないのである。比喩とは…このような単純な句ばかりではない。次の句を見ていただきたい。

   林檎割くいきづく言葉噛み殺し

   妹に告げきて燃える海泳ぐ

   朝焼けに寝てセーターの胸うすし

   父となる思ひ断ち切り去年の雪

   白葡萄食ひ机上の航海術 

上の句は総合俳句誌「俳句研究」第一回五十句競作の入選作である郡山淳一の「半獣神」の一連の作品である。これらの自己愛とも言える作品の底辺に流れる母体は比喩なのである。一見、比喩なんて、何処にと、疑問をもつのだろうが…。

 実は、あまり知られていず、一般的ではないのだが、比喩には二つの表現法がある。

●外面的目視比喩によるもの……目視による直感が主体。

●内面的感受比喩によるもの……主体は個人的で思想を含む。

 では、一般に比喩と呼ばれている表現法とは・どのようなものがあるのだろうか。

①直喩(明喩とも言う)

「~みたいだ」や「~ようだ」の言葉に代表される用法。例えるものと、例えられるものを明示して表現する。

②隠喩(暗喩とも言う)

例えられるものを、それとなくわからせて「~みたい」、や「如く」などの言葉は使わない。隠喩の言葉の意味するものは隠す。隠していても暗示させる。

③擬人法 

人でないものを人間に見立てて表現する。

④諷喩 

例えだけを示し、その意味を間接的に考えさせる。(散文でのみ使用され俳句では殆ど未使用)

このように多面に渡る思考のなかに比喩の表現は振幅をなし広範囲にある。だが、私たちが、この用法を使いこなしているとは言えないのが現状。ここに作品紹介した郡山淳一の俳句などは誰も比喩の作品など思わないであろう。過去においてもこれまで誰も比喩表現など言ってきたものはいない。しかし、この自己愛を一つの基点として、「物」を凝視するとき、俳人の見ているそのものは全て比喩の対象となってくるのである。俳人その人は自分と比較して対象物を見る。自分の心表現の対象物になるのである。俳人その人の心象を対象物に託し、この自己愛を、その視線の先の「物」に見出す。そして自分の理想なり、思想を比喩にして表現しているのである。…これが内面的感受比喩なのである。

 一句目の「林檎割く」は純粋に林檎に向かった時の心を純粋に何時までも保持したい自己愛の比喩。人でないものを人間に見立てて表現する心。言わば擬人法なのである。

 四句目の「去年の雪」の心の状態は、「雪」の純白に触発された心理を自己愛へと昇華させ、比喩へと変身を試みている。ここにも人でないものを人間に見立てる、と言う擬人法の表現がなされている。これらの郡山淳一の俳句は内面的感受比喩の抒情の質を強く保持しての作品であった。当時、このような抒情の内面的感受比喩はなかった、ということで、大変新鮮であった。それまでは殆どが外面的目視比喩の作品で目視による直感が主体であったのだ。次の句も、その一つである。

   萩の野は集つてゆき山となる   藤後左右

この上句、昭和六年当時の「ホトトギス」投句時代の作品である。当時の俳壇にあって多くの俳人たちを驚かせた一句。目視による写生のゆき届いた句で、この句は帰納法による抒情の濃ゆい描写である。この句も比喩の作品なのである。「萩の野」は斜面にあり、傾斜面を登って、いっぱい「萩」が集まり群生している。そしてそれらが私の目視の中では「山となる」、のだろうと…思う感覚。この表現が帰納法を使っての描写であったことに俳壇は吃驚したのである。帰納法は、先に結論を述べて、後からそれを裏付けて説明をする方法。萩の野→山となる。この目視は「萩の野」から「山となる」に連想がなされたのである。この「山」は本来は「萩の野」。これは比喩の目視により生まれたものである。帰納法を使っての比喩表現であった。藤後左右は、明治四十一年の生れ、二十二歳で、「ホトトギス」の巻頭作家になっている。当時の俳壇にあっては、この句が発表されるまで帰納法を使った外面的目視比喩の俳句はなかった。