癒しのこころで俳句する…俳句を作っている意義

   毎日の生活のなかで他人の言葉に傷つき、社会から疎外された時、私たちはどうして自分自身を復旧回復させているのだろうか。ときどき思うことがある。私たちの青春はフォークソングに身を投じ音楽喫茶に群がっていた。いまでは喜多郎シルクロードのテーマの音楽に惹かれ、姫神富田勲の演奏に我を忘れて浸る。ここには安らぎと癒しの心が強くあり、そうして自分自身を慰めているのであろうか。このようなとき、俳句することの意義や意味はいったいなになんだろうと思う。もっと素晴らしい社会参加があるのではないかとも。もっと良い生き方があるのではないかとも。

    でも、私たちは俳句を書いてゆくことの持続性を思い、日々努力している。その魅力とはいったい何なんだろうと思う。そして、どうして短詩形に魅了されているのだろうかとも思う。

 その短詩形とは…短歌・俳句・川柳のことである。これらの発祥は、いずれも和歌といわれるものであった。もっと昔へ遡れば連歌である。

ここで、随分以前のことになるが、神戸新聞2006年7月29日朝刊掲載の記事を思い出す。「俳句はいま」と題する小川軽舟さんの記事である。6月18日仙台文学館で開かれた「第9回ことばの祭典」のこと。一般市民参加による短歌、俳句川柳の合同吟行会と言う短詩形の交流に関するものであった。

 受賞作は…。

(俳句)欅とは偉大なる他者新樹光   佐藤成之

(川柳)雫にも似たるか老母のリズム感 横関智恵子                 

この二つの作品においての俳句、川柳、の区別を何処で見極めるのか。私には全く判断がつかないのだ。強いて言えば季語があるかないかの常識程度で殊更強調すべきものはない。生活実感からすれば川柳の方がわかりやすいし感動や共鳴も優れているようにも、私としては思える。俳句本来の持つ良さとはいったい何なのだろうと思う。季語に頼り過ぎ、季語の持つ特質にポイントを求めると、その季語に全てが押しつぶされてしまう。そんなふうにも思えるのは俳句の弱点でもあるのではないか。本来俳句も川柳も連歌から独立したものである。連歌の発句(五・七・五)が俳句になり、付句(七・七)の部分が、五・七・五の形に変化、川柳になったものではないか、という説がある。 

 小川軽舟さんは言う。以下原文のまま…。

「俳句に季語や切字があるのは、それが発句の約束事だったからである。発句は一句で完結することが求められ、以下の付句では人間生活の諸相が目まぐるしく繰り広げられた。俳句も川柳ももともと滑稽を旨とするものなのに、俳句は完結しようとして気負い、川柳は世相の移り変わりとともに駆け抜けた。前者の気負いを文学性だと思うのは、俳人のうぬぼれにすぎないのではないか。祭典の後、そんなことがしきりに思われた」そして軽舟さんは私自身の反省も込めてと言う。

俳人は現代詩や短歌とは肩を並べたがるのに、川柳のことは同じ文学の仲間だと思っていない感がある」

 いま俳句は生活の或いは日常の、そして私達の身近な部分からだんだんと遠くへ離れてゆこうとしている。かって私は師である伊丹三樹彦から人間の心を学び、その姿を詩心とすることを教わった。その心は川柳作家の方にこそあるようにも思える。

 次の句を見て頂きたい。 

  あかつきの梟よりも深く泣く  時実新子

 この句は川柳である。この句についての評を赤尾兜子は川柳としては見ていなかったのだ。赤尾兜子は「川柳ジャーナル」117号(1973年)で「新子近見」と題して書いている。

 

 みごとに切断した空(くう)のとらえ。その空(くう)に、わずかに一つの梟があり、私がいる。「深く泣い」ているはずなのだが、その私はわずかにしか泣いていない。それが言葉の微妙な次元のゆらめきであり、ふるえである。

 

 ここで兜子が言いたかったのは、俳句を俳句らしくするには私性がどのように関わっているのかと、問い詰めたのではないかとも、私には思われることだった。…この表現は俳句にこそ必然のものなのだと私も思う。もっとも時実新子を私は昭和42年ごろより知っていたが、それは俳人としての新子さんであった。「青玄」姫路支部の句会へ来られていた頃で俳句を作られていた頃の思い出が蘇ってくる。それ以後の川柳作品に俳句的な要素がかなり見られていて、これまでずーっと俳句だと思ってきた。当時、伊丹三樹彦の指導を受けていて非常に熱心な一人であったと記憶している。

 

 俳句が、癒しを何処かで支えているのではないかと思えるようになったのは、この時実新子の川柳における兜子の「新子近景」を知った時からだった。 

 

 いま、私は改めて俳句における、俳句そのもの持つ魅力とはと、深く思うようになった。いろいろあるにしても、次の句は現代俳句に大きく、その魅力を提示したものとして私は評価しているのだが…。それは癒しとしての評価である。 

  ナナカマドそこは日暮の行き止まり 前田 弘

  光源は轢かれたままのキタキツネ  前田 弘

 第67回現代俳句協会賞受賞作品の中の句だが、癒しの心がたっぷりとある。その癒しを受け入れる人々の心へ向かって呼応するものだった。この「ナナカマド」、漢字で書くと「七竈」。大変燃えにくく、七度竃(かまど)に入れても燃えないというところからついた名前だとか。その「ナナカマド」の真っ赤に染まってはきらめく葉っぱの光景は心のふるさとでもあった筈。作者のふるさと・北海度。その地の行き止まりは一日を照らしつづけた太陽の燃え尽きる日暮の行き止まりでもあった。この風景にこそ人間の原点があり、それを見ている作者の思いは癒し以外の何物でもない。この句を読み、全てを知る者にも連帯して癒される。そして、そのふるさとで見た光景は「轢かれたままのキタキツネ」であった。しかも光りを発するのは哀れなキタキツネであったとは。ふるさととしての癒しはなんであったのだろうと思う。それでも故郷への愛着は捨て切れてはいないこの癒しこそが俳人の心なのだろう。さまざまな地球の環境に左右されながら生活する現代人の苦しみを知る人たちへのアピールでもあったのだ。日々の生活環境は満足に満たされているものばかりではないだろう。傷ついた心の人たちには、フラットな音楽を聴くように、心の安らぎを与えるものではなかったろうか。この心こそ俳句のこれからを思う多くの気持ちであるようにも思った。

 もう一人、その癒しを自分自身に言い聞かせながら心を奏でる俳人がいる。心の痛みを治療するには、薬では良くすることの出来ない意味を、この俳人からは知ることがが出来よう。

  生国を捨てた男といる花野  岩渕真智子

  ビルを出て春風纏う一詩人  岩渕真智子 

 句集『レモン』より抽出。その生活の多くは女性ならではの強みなのかも。ここにも癒しのもたらす深い悲しみが心の奥を開いては語りかけているのであろうか。 その癒しは作り物であってはならないのだと、…そのような心になったのは真智子さんの作品を読んでるいるときだった。自己劇化は俳句の象徴的表現方法だが、それが作り物であっては癒しにはならない。人の心を弄ぶなどしていては単なる劇化である。この「生国を…」の句には純粋に見つめる一人の女性としての俳人の目が光っている。労わりの目と言ってもいい。それそのものが癒しの目であり真剣である。純粋に読むものを静め暖かさを与えるものなのだろう。そして、「ビルを出て…」の句からは自分自身に向かって慰めては心を強めている。前進する俳人の癒しを広げているのだろうか。

 さて、その癒しだが、作り物であってはならないというのが、私の持論である。

それは貴重な言葉を知ることが出来た或る日のことだった。私が第39回青玄賞をいただき、その翌年「青玄」の無鑑査同人になったときのことである。私に想像もしなかったことが起っていた。全く句が作れなくなってしまったのだ。今度は作る側から、みなさんの句を選句して優劣をつけなければならない先生と呼ばれる立場になってからの苦しみが始まっていた。このとき、私を救ってくれた言葉があった。それは、『自選自解 山口誓子句集』(白鳳社)の巻末に記載されていた「俳句・その作り方」の中の誓子の言葉であった。

 感動が先立たねばならぬ。感動は「ああ」という叫びである。感動は自己と事物との出会いによって起る。事物と出会って、思わず「ああ」と叫ぶその叫びから、俳句は生まれる。しかし、俳句の感動は、単純な事物の上にではなく、事物と事物との結合の上に成立する。

 このとき、その誓子句集には誓子を、それほどまでに有名にした話題の句があった。

  海に出て木枯帰るところなし 山口誓子

この句の存在の意味も、物を作りだすときの苦しみもわかるような気持ちになっている私が、そこにいた。事物を見て、そこには新しい発見が得られれば句になるのだと思っていた私の思考を、根底からひっくり返された私がいた。そして、事物と私の間に何かを捉え摑むものがあっても、それでは俳句にはならないことと知ったのだった。そこには、事物を見た時の「ああ」という感動がなければ、それは、ただの報告にすぎないことなのだと思った私の過去がある。

 癒しは「ああ」と思う感動の心を持ったときでなければ、全て作り物であり、何も癒されはしないのであろうとも思う。癒し俳句は作ろうと思っても作れるものではない。自己劇化することによる自分自身の心の放出は、日々の生活や仕草のなかに数多く現出するであろうが、このことに「ああ」と思える自分自身の投入はなかなか出来ないであろう。前田 弘、岩淵真智子の句を採りあげての考察を試みた。これからの最も大切な現代俳句の意味をなすものになるだろう。日日の生活の負の部分を助ける心の回復は俳句でも出来る、否、俳句でこそ出来ることを、もっと積極的に進め実行することの是非を問いたい。