文芸通信…こころの散歩⓶

   ◎俳句に支えられて…(2006年6月9日)

       父の日の父の貧乏子に詫びる   庸晃

毎年六月の第三日曜日は父の日である。長男の電話があるまでは全くこの日を忘れていた。プレゼントは何が良いかとの電話であった。取り立ててもらうものは何もない。

考えてみれば…65歳になるまで働きずめであった。いまもそうなのだが働いておれる元気を嬉しいとも思う私であった。ただ働くことだけを考えなければ生きてゆけない時代でもあった。長男が生まれ、そして妻と喜んだその時、町には「神田川」の歌がながれていた。そしてそしてあのチエリッシュの優しい澄みきった声の歌が耳の奥で鳴る。「白いギターにかえたのは何か理由があるのでしょうか」その歌の曲名は白いギター。昭和48年、長男二歳のとき。みんなみんな貧乏であった。長男の誕生祝いに白いそれも殊更白いケーキを買い私は家路へ急いでいた。そして心の中で子供に詫びていたのだ。…そんな過去の句を思い出していたのだった。

その後も5回住む家を移って行った。五歳のとき柱に掴まり 「ここが僕のおうち」と離れようとしなかった長男。その時、長女が生まれていた。貧乏であっても家族のささやかな愛によって支えられていたあの頃であったのか。長男は昨年結婚し長女は今年七月に結婚する。

父の日…この生活と闘った日々の過去。それはまっすぐ純朴であった。そしてそれを正しく導き進むには俳句と言う支えがあったのだ。「あなたの今を記しなさい、いま闘っている姿を素直に書きなさい」と指導していただいた伊丹三樹彦先生の顔を今も忘れないでいる。この言葉あればこその私である。