俳句アーチスト…

                                         中永公子さん…句文集(2017年6月19日記述)

                   児 島 庸 晃

 もう6月。…そんな事を思っている午後の事。あなたからの句文集「星辰図ゆるやかなれば」が届きました。編集が意外なほど斬新で中永公子さんらしいと思った事実が本物であったからです。いろんな方面で活躍されている事は、俳句結社「青玄」時代を知る私には再認識することになったからです。多種多芸といっても、その原点が俳句のもつ思考性にあり感性にあることを思えば並々ならぬ努力の積み重ねと積極性にあったのだろうと思っています。句文集の上梓、おめでとうございます。貴重なものですのに、贈呈下さり感謝しています。改めて本を開くと、次の句が目に飛び込んできました。

   戦争ははじまりませんよ 手籠にねぎ   中永公子

懐かしさでいっぱいです。たしか「青玄」人中賞応募の作品ではなかったかと思うのですが、鮮明に記憶していました。とても新鮮です。未だにその時の感激の心は残っていました。それはいまの現代俳句が、どちらかと言えば、自己表出を失ったかの現象が顕著だからなのです。公子さんの心の中にあるネガティブな現実・現風景にどことなく漂うポジティブを感じるからなのです。…このようにありたいと願う心、それらは全て理想の思考の根本に帰依し公子さんの理想世界を構築していますよね。それがポジティブになっていますよね。

 例えば次の句…。

   天体の春のほとりを郵便夫  中永公子

思えばこの句、詩語のなかに私性が含まれているじゃないですか。内心を擽る素晴らしさが公子さんそのものですよね。私が「青玄」時代に思っていた感動が蘇ってきました。時代は過客と芭蕉は「奥の細道」で書き残していますが、平成の時代にあっても地球という天体は、刻刻変わります。ですがそこに居住する人類の心は同じものである筈。この「天体」の言葉にはアイロニーが込められているようにも、私は思います。それは公子さんの生活心情なのでしょう。今の俳句は喋り過ぎであり、言葉から受け取る余韻のない句体が多いのですが、…そのようなことが熟知されての句のようにも思われます。この天体を壊すものに天災があり、この顕著なものが地震ですが、ここにもアイロニーが生き生きとしてありますね。

   日に映えて 街 はすかいに歪みゆく

この句の「日に映えて」は、まさにアイロニーそのものです。こわれゆくものの一瞬の気持ちを美しく捉えての表現。プラス思考であり、ネガティブの現実をポジティブに変革させた瞬間の願望意識の美しさだと私には思われます。私事になりますがこの震災の日は、神戸大丸の防災センター勤務をしていて、直接対応に追われ、私の背中にはコンクリート塊が乗っかり負傷をしての、激痛に耐えての勤務。自宅に帰宅したのは一週間後でした。心情のプラスは生活の日々の美しさです。このような大変な危機意識のなかで「日に映えて」の表現言葉に心が癒され素晴らしいことだと強く惹かれました。

 やっぱり、公子さんは私性の俳人だと思っています。それもポジティブに向かっての行動派だとも思っています。

   大空のかゆきところを鳥泳ぐ    中永公子

この句「鳥泳ぐ」は公子さん自身ですよね。「かゆきところ」も公子さん自身ですよね。どのようなことも一瞬の私性に徹しその予兆はポジティブに心が変革することだったのですね。この感性は個人の主張を強く維持していたいと言う意識を生む事になる。時代に対する敏感な自意識の反応であり積極的に自己表出をもとめる先駆的俳句活動だったようにも思いました。ほんのすこしですが、私が思ったことを感想といたします。