2023-01-01から1年間の記事一覧

奇物陳思と言うものは(2006年3月10日記述)

立冬やひとはぬくみを目に灯す 児島庸晃 ときどきではあるが俳句の出来る場とか瞬間のようなものははたして何なのだろうか…そんなことを真剣に考えてみる。奇物陳思と言う俳句の基本は発句が俳句として独立独歩を始めたときから変わりはない。しかし今「奇物…

俳句言葉と日常言葉は違う

日常言葉俳句には緊張感・臨場感が感じられない 児 島 庸 晃 俳句作品と呼称されるものを見ていて、これは一行詩なのか短詩なのか、と考えてしまう場合がある。もっとも俳句は定型と言われる五・七・五の約束ごとはある。だが、現代俳句は非定型や多行形式も…

俳句は可視と不可視の間に成立する

…… 心 は い つ も 眼 心 …… 児 島 庸 晃 俳句は生きている実感、そしてその真実を如何にして記録してゆけるものなのか。俳句は可視の世界の現象だけではなく、不可視の世界に現れる心の変化を取り入れる必要があったのかも。心の中だけで出会う現象を記録し…

俳句は一行のコピーではないのだが……

俳 句 の 本 質 を 分 析 す る 児 島 庸 晃 昨今の句会の現状は、何人かが集まってその場所で行われる句会も、インターネットを使っての句会も、最高点句と言われるものは、挙ってキャッチコピーに類するものが多くなった。何故だろう。社会一般を通じて、…

 目視も感受も俳句の言葉たち

… 比 喩 を 考 え る … 児島庸晃 比喩表現がどうして俳句にとって必要なのだろうかと考え始めて、私の脳中は、ずーっと混乱の毎日である。俳句そのものが視覚からの発想によるものであれば、比喩の発想をする必要はないのではないかと思い、いろんな現実を思…

俳句は日常体験の感動を改めて蘇生させるもの

人工知能(AI)「一茶くん」に対する私の思い 児 島 庸 晃 最近の俳壇で話題になり始めたことの一つに人口知能を使って作った俳句作品の良否が、あちらこちらで起こり、いろんなところで話題の中心になり始めているのに驚かされている私である。何故かと言…

俳句におけるアイロニー言葉とは…

俳句は意味で作ってはならない 児 島 庸 晃 目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは大脳で判断してそのように思われているのだろう。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の…

俳句の一句が成立するまでの過程とは…

顕在意識→連想→潜在意識を経て成り立つ 児 島 庸 晃 最近になってのことだが良い句には、作者独自の思考の形があるのではないかと思うことが私には多くなってきた。そのように思うようになった根拠には、人間本来の底に棲みついている、潜在意識としての姿が…

俳句にもテーマやレーマがある

その一句は何を表現したいのか 児 島 庸 晃 俳句を読んでいて何故と思うことがある。…その句を何回読んでも何を主張したくて作ったのか、何を伝えたかったのか、理解できない句が最近多くなったように思う。これは作り方が拙くて、充分に表現しきれなく伝達…

俳 句 言 葉 の 魔 法

昭 和 ロ マ ン を 求 め て 児島庸晃 昭和は遠い昔の時代になってしまったのであろうか。時々懐かしむほどに時代はいろんな思いを残し過ぎ去ろうとするのだろう。思えば思うほどに時代はいろんなものを残してゆく。昭和は言葉の引き出しをいっぱい保持出来…

俳句としてのアドリブ表現

俳句の臨場感とは 児島庸晃 毎日、毎日いろんな俳句の総合誌、それに同人誌や結社誌を読んでいて不思議に思うことがある。現代という社会生活のなかに生存していながら、社会感覚や生活感覚の薄い句のなんと多いことか。個人の生活を詠うにしてももっと心の…

神戸新聞読者文芸…私のメモリアル⓶

神戸新聞文芸 掲載作品(入選作品) 児 島 庸 晃 〇川柳部門 2021年神戸新聞文芸川柳1月・4月・6月入選句を紹介させていただきます。 ★1月入選句(2021年1月4日朝刊掲載) 題…「脱ぐ」 特選 蛇口より脱皮始まる水ぞ今朝 選者…矢上桐子さんの評…

俳句の新しさとは何なのか…

その一句の発想は作者の思考そのものなのだが 児 島 庸 晃 最近になってしきりに考えるのは、俳句総合誌や結社誌、同人誌を拝見しても、どれもみんな横並びで心へ飛び込んでくる句の少ないのには驚く。…特にそんなふうに思って見ているのではないが、ここ5…

「物」俳句と「事」俳句‥‥俳句には二つの形

それぞれの句会における選句の違い 児 島 庸 晃 俳句を作っている人の殆どが、自作の句をどのようにみなさんは評価していただけるのかとの思いに日々苦心を重ねているのが、いま一つの大きな悩みになっているのではないだろうかとも私は思うようになってきた…

上手な俳句なのに何故感動できないのか

四角い箱に 四角い蓋をしてはいけない…俳句理論 児 島 庸 晃 上手なまとめ方をしている句なのに、なるほどと納得も出来る句なのに、良い作品だとは思えない事がある。そして句会でも高点句になっているのに感動できないことがある。何故だろうかとずーっと私…

俳句におけるシンクロニシティーとは  

先日のことであるが、ある目的のために歩いていたのだが、この暑さのため身体が思うように動かなくなり暫し戸惑うことになる。大変なことにならないように身体を休めていると普段は気づいていなかったのだが、顔を上げたその時、目の前に噴水があり、そこで…

日々の日常生活より心に残る句 

私の句集「風のあり」より抜粋 児 島 庸 晃 こころの風景① (平成20年6月8日記述) 風 音 の 足 音 に 似 て 五 月 く る この句は仕事と日々の生活に疲れ果てていた平成20年の句である。たまたま休日がとれた。神戸北野町へ心を安らげようと家を出る。…

俳句は「私自身」の存在を確認するもの

俳句における緊張感とは何なのか 児 島 庸 晃 俳句を作ることの意味や意義は何なんだろう。…ここ数日私は、このなんとも漠然としていて、どうにも訳のわからぬ思考にとりつかれていた。考えても思慮深く思い巡らしても一向に考えが前進しなかった。ところが…

前衛作品俳句考…その意味するもの

前衛俳句を論考するに及びよく聞かれることがある。その俳句たるやもう亡び去ってどこにもないではないかと、よく聞かれる。確かに…そのように正面切って詰められると答えに困ってしまうことがある。答えと言っても理論らしく説明したところで解ってもらえる…

感性は時代により変革されてゆくもの  

社会性俳句と前衛俳句の時代 児 島 庸 晃 私には…ふと思うことがある。俳句を書いていて何のメリットがあるのだろうかと、時々思うことがある。もっと有意義な社会参加はないものかとも思ってしまう。俳句が書けなくなった時などに、今でも私は、そのように…

 五・七・五の一行は…詩である

私の周辺で囁かれる気になる言葉がある。俳句の最近の現状についてのことだが、只事俳句が多くなったと言う。…これは何故にそのように思えるのだろうか。感動したと言える俳句がなくなったと言う。把握内容も意味ももっともなのだが。感覚も理解出来るし、新…

 それぞれの俳句には…その句を作ろうと思った『何故』がある

「それぞれの俳句には…その句を作ろうと思った『何故』がある」。 これは現代俳句人…伊丹三樹彦の遺した文言である。 児 島 庸 晃 令和元年9月22日午後6時、私は阪急電車伊丹駅にいた。夕べの光がやや弱くなりかけ るのを顔に受けながら東南方向へ向かって歩…

俳句における抽象表現を考える

言葉から俳句を作ってはならない 児 島 庸 晃 世の中の目視できるもの全てを集約すれば面と線になるというのが、抽象表現の基本的考えである。面も線も、それぞれに表情を有しているというのが、抽象絵画の生みの親であるカンディンスキーの考え方であった。…

神戸新聞読者文芸…私のメモリアル①

神戸新聞文芸 掲載作品(入選作品)…児島庸晃 〇短歌部門〇 2011年神戸新聞文芸年間賞 短歌部門最優秀賞受賞 「神戸新聞文芸」2011年の最優秀賞の発表が12月26日にあり、短歌部門の最優秀賞に私(児島庸晃)の次の作品が新聞紙上に掲載されました…

句心と言うものは…現代の俳句言葉

作句時の作者の心中には、無心に目視している必死な心があらねばと私には思える。この時は心は純色であらねばならない。心は目視にだけ集中できる無に等しい心境が存在していたのだろう。汚れのない心中が目視には必要なのである。この時に、はじめて目視は…

ヌーベルバーグ時代の俳句…ふたたび

俳句を詠むに意味で読まないこと 児 島 庸 晃 目視して物を受け取る時、その感覚は意味で受け取っているのではなかろうか、と思う時がある。それらは頭で判断していると思われているのだろうか。だが、実際は情感で物を見ているのである。俳句が意味の句の表…

心を無にするこころの大切さ

生きてゆくためには心の浄化がなされなければならない。社会の現実に埋まり鬱になる。心の純白は俳人の一句の中にも出せる。俳人と俳人の交流はお互いの心の繋ぎ合いでもある。現代俳句は、この感情表現の成否により、読者への受け入れを素直にする。それに…

心にあたたかい驚きを…それはメタバース

俳句本来のあり方とは…を問う いま現実社会は何を信じ、何を頼りに生きてゆけばいいのか。社会そのものが混沌、汚れきって真面目に生きるに辛い毎日。政治の中心にいる人たちですら、国民を騙す時代。私の心が壊れないことを願った。あれもこれも人の心が壊…

心の浄化された句…それを純粋俳句という

何故にいまも俳句を作すのであろうか。…そう思ってひとり静かに珈琲を飲んでいた。真昼の我が家。秋の日差しが部屋に置かれる午後。私の心が最も純粋になれる時間でもある。身も心もばらばらになってゆく私を、私なりに、それも密かに私を取り戻す。すべての…

俳 句 屋 さ ん は …… ご め ん だ

俳句屋さんが増えました。俳句を書くのではないのです。俳句を仕立てるのです。俳句はレディーメードの既製服です。どんどん作って俳句人口をやたら増やしつづけています。俳句屋さんの俳句は俳句らしい俳句です。文句のつけようがないほどきっちり出来上が…